二つのヴィーナス像
 平成元年に、舟形町西前遺跡から、「縄文のヴィーナス」と名付けられることになる、日本最大の土偶が発見されている。この西前遺跡は、小国川の段丘上に位置する、縄文時代中期の遺跡である。土偶は大量の土器のかけらとともに、いくつかに分かれて発見された。高さは四十五センチ、日本一の大きな土偶ではあるが、その大きさよりも、見る者はみな、その美しい造形美に息を呑むだろう。青森県の三内丸山遺跡と同時代に造られた、まさに「縄文芸術」のシンボルと称されるべきものである。土偶は一般には、女性をモデルにしているといわれるが、豊穣や多産などにまつわる祈願のために造られた、と想像されている。縄文人のいかなる祈りが込められていたのかは知らず、数千年の時を越えて、「縄文のヴィーナス」は現代人の心をとらえて離さない。
四千五百年前に、このヴィーナスを造った縄文人の村は、川のほとりにあった。背後には、広大なブナの森が広がっていたにちがいない。秋になれば川を遡上してくるサケを捕り、森に分け入っては山菜やきのこを採り、狩りの獲物を求めて山々を駈ける、そんな暮らしが見られたはずだ。くりかえすが、それは現代にまで地続きに繋がっている暮らしのスタイルである。「縄文のヴィーナス」はたんなる過去の遺物ではない。いまに連なる数千年の歴史の、ひそかな語り部なのである。
 山あいの村々を訪ねると、そこには決まって、山の神を祀る神社や小さな祠がある。秋田との県境に近い真室川町の村々には、そうした山の神の神社がたくさんあり、木で造ったヒトガタ(人形)が数多く奉納されている。子どもの健やかな成育を願って奉納される。及位(のぞき)地区でいまも行なわれている、子どもらの山の神勧進の行事には、それらのヒトガタが背負われる。山の神は女神と信じられている地方が多く、女神の像が祀られている山の神神社も見られる。「縄文のヴィーナス」ならぬ、「山のヴィーナス」であるが、なぜか、この女神は醜く嫉妬深い神だといわれている。多産の神であり、その姿が子を宿す姿をしていることもある。まさに、いまに生きる「山のヴィーナス」なのである。