山形の風土と縄文
 山形の自然と文化をめぐる風土は、千メートルを越える山々と、その山々を源とする沢水を集めて流れくだる大河、そして、川沿いに開けた盆地の連なりによって、大きくは規定されている。いわば、豊かなブナの森の幸と、川の恵みによって生かされてきた土地である。それゆえ、人々の暮らしや文化、そして歴史は、この大きな自然との交渉のなかに育まれてきた。また、山形は雪の深い地方でもある。一年間の半ばを雪に閉ざされて暮らした時代は、しだいに遠ざかろうとしているが、そこに独特の精神風土が形作られてきたことは否定しがたい。
半世紀も前には、自然はもっと身近なものだった。人々は自然のかたわらにいて、その自然とときには敵対しつつ、微妙な折り合いをつける知恵や技を知っていた。そこにはたとえば、こんな暮らしの形が当たり前に転がっていた。山々の襞深くに抱かれた村々では、わずかな山田でイネを育て、カノ畑(焼畑)でソバやカブを作り、ブナの森に分け入り山菜・きのこ・木の実を採り、ウサギ・ヤマドリ・クマなどを獲物とする狩りが行なわれてきた。川に近い村々には、サケ・マスやアユ、また雑魚(ザッコ)などを捕る姿が見られた。海辺の村々では、むろん漁労が盛んに行なわれてきた。そのかたわら、後背をなす山には田畑が開かれ、カノ畑ではカブが作られた。内陸の盆地や庄内の平野には、いまは水をたたえた稲田のある風景が広がっているが、それは近世以降の新田開発がもたらした、むしろ新しい風景のひと齣と言っていい。
 そうした暮らしや生業の風景の底には、縄文時代以来の伝統のかすかな影が認められる。たとえば、いまも山村で使われている、樹皮やツルで編んだカゴなどは、あきらかに数千年に及ぶ縄文以来の時間を宿すものである。あるいは、雪国の暮らしに欠かすことのできない、歩行の道具であるカンジキもまた、縄文の遺物のなかに見いだされる。そして、冬場の狩猟や、川の漁労、春から秋にかけての山菜・きのこの採集など、季節のめぐりに応じて山の幸・川の幸を自然からいただく暮らしのスタイルには、淡く、濃く、縄文以来の伝統が影を落としている。