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小津作品の形式総体の働きと効果

4 動きの連鎖・反復と動的効果


 小津作品では、説話の主要な流れが会話のやりとりと人物の動きの整然とした交替によって形成されている。しかしながら、これまでの小津研究では、会話部分やカメラの低位置固定撮影といった静的側面に比して、人物の動きや動的効果があまり顧みられてこなかった嫌いがある。人物の動きの画面への過剰な介入にもかかわらず、従来の研究であまり言及されることがなかったのは、それが物語的内容には殆ど還元できないような流れであるため、論考対象としてうまく有標化できなかったからであろう。

 人物の動きが小津の形式表現において価値づけられるのは、単に人物の動きが画面に持ち込まれているからでなく、さまざまな条件や装置によって、その流れが微細に分節されて作品全体に渡って反復されるモードを構成し、また空間内に仕掛けられた装置を揺り動かす媒体として働くからである。人物の動きが表現面での効果を強めるのは、ショット間での行為の持続した時間が全く損傷されないショットつなぎによって一つながりの行為(またそこに流れる時間)の存在感を強め、さらに人物の動きを遮る襖・壁といった遮蔽物とカメラの視界外の空間(カメラは定位置に置かれ、多くの場合、家の表と玄関を結ぶ空間は画面に示されることがない)、画面外の行為を示す音の使用(門の扉・玄関の扉の開閉音、オフ・スクリーンの声)などによって、人物=動体が存在(可視)/不在(不可視)の交替する動態パターンとして提示されることになるからである。

 この動態パターンの最も典型的な例を我々は『晩春』(49年)における玄関の出入りの反復提示に見出すことができる。玄関を入る行為が11回、出る行為が5回繰り返される回数の多さはそれだけでも注目に値するが、行為者が誰であれ、行為の行われる間の時間が省略されることなく完全に提示され反復されることはさらに注目すべきである。

 玄関の出入りは、それが玄関の出入りであるという至極当然の物理的理由によって構成される。つまり、<家の表>←→<玄関>←→<座敷>の順列関係である。人物の動きはさらに遮蔽空間と画面外の音が絡むと次のような動態パターンとしての連鎖関係に置き換えられることになる。

<家の表>(1)人物が来る(フレーム・アウト)→(2)無人状態→(3)扉の開閉音→(4)無人状態→<玄関>(5)無人状態→(6)扉の開閉音→(7)無人状態→(8)(フレーム・イン)玄関を上がる人物(フレーム・アウト)→(9)無人状態→<座敷>(10)無人状態→(11)座敷に入る人物…。

 これは見事なまでに人物の動きの流れをリズミカルに特徴づける分節化の好例でもあるが、実際の構成では玄関と座敷には二つのカメラ位置が範列的に設定され、個々のショットは省略または他のショットとの置換(たとえば<家の表>のショットの位置に<座敷>のショットを当てること)、ないしはショットの転換時点の前後への移動といった組み換えができるので、反復に際しての複雑なかたちの展開が可能になる。

 父が娘を嫁にやるまでの物語を扱ったこの作品で、玄関の出入りの反復提示が個別的に担う機能は、それが反復構造の核となり、『父ありき』での親子の並び合うかたちの反復と同様、絶対的な法則性を感じさせながら、物語と連動し、あるいはそれ自体が自律して、さまざまな意味作用や微細な効果をもたらすことである。

 人物の動きが担うもう一つの大きな機能は、空間構成のために単位化=構成要素化された<カメラ=室内各部の空間>、またはその間に内在する機能(諸空間の同一化された様相=空間的指標の喪失、ショット間の方向転換など)を最大限に外在化する媒体として働く。つまり、カメラの定位置設定によって分断された個々の空間は、人物の動きを仲介して連結し、頻繁に繰り返される人物の動きによって反復提示されることになるのだが、相互の連鎖関係と反復提示は、各空間を明確に位置づけるように働くというより、逆に分断された空間の間に仕掛けられた方向性のちぐはぐさを強調するように働くのだ。

 イマジナリー・ラインが完全に破られた形でのカメラ位置の設定は、会話場面の場合、空間設立ショット(室内全景を示すショット)で始まり、随時再設立ショットが導入されるため、そこで180度の方向転換が頻繁に繰り返されても位置関係が混乱する度合いは少ないが、人物の動きに伴う空間は、それが人物の動きの方向性によって転換=連続する相対的な関係に置かれるため、そこに生起する時間(動き)とカメラ間のちぐはぐな方向性が中心的に作動して、個々の空間の静的固定的完結を終始妨げる。このようにして、動きに主導権を握られた空間は互いに引き裂かれるしかなく、秩序立った循環的構成と絶えざる方向感覚の錯乱とによって、完結しているはずの空間が自転運動をしているかのような効果が生じてくるのである。


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