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長大前川ゼミ:地域の記憶

[13/10/13]一心寺〜本多忠朝墓所〜

カテゴリ: 大阪九度山視察計画 地域: 大阪
(登録日: 2014/10/17 更新日: 2019/05/21)


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記録日: 2013/10/13

 天王寺駅から安居神社に向かう途中、一心寺に立ち寄りました。ここは大阪の役の徳川方の武将・本多忠朝の墓所があるお寺です。
 本多忠朝はお酒が過ぎたことにより戦死したとされています。その後は酒封じの神としてお酒に苦しむ人々が参拝し、祈願しています。
 大坂の役というと、真田幸村をはじめとした豊臣側の武将に関係する場所を連想しますが、徳川側に関係した場所も巡ると大坂の役の魅力が引き立つのではないかと思います。

 
 

一心寺仁王門説明

(1件)
01 一心寺仁王門説明


 一心寺仁王門縁起
この山門は平成9年4月、第12期お骨
佛開眼大法要にあわせて、平成7年より
2ヶ月をかけて建立されました。仁王尊
は彫刻家・神戸峰男氏による5メートル余の
青銅像であります。右側・口を開いてい
る阿形像は心の邪念を戒め、左側・口を
閉じた吽形像は世の紊れを睨んでおりま
す。扉の4人の天女は画家・秋野不矩氏
の原画を神戸氏が浮彫りにされました。
インドから日本にいたる佛教世界の文化
を帯して少しづつ顔やお姿が違います。
インドの佛蹟では人々がその胸と腰にふ
れて、生命のご利益とされます。
昭和20年に空襲で焼失した旧山門が大
坂玉造り御門の移築と伝えられ、「黒
門」とよばれていたことに因んで、新山
門もまた今日的意匠による黒い門として
復興いたしました。
 

本多忠朝墓所説明

(1件)
01 本多忠朝墓所説明


 酒封じ祈願
 本多出雲守忠朝の墓
本多出雲守忠朝は徳川家康公四天王の
一人といわれた本多忠勝の第二子で
関ヶ原の合戦に武功をあげた大多喜5万石
に封ぜられていたが酒を過したため
大坂夏の陣(1,615)において
戦没した。死に臨んで深く酒弊を悔い
将来酒のために身を誤るものを助けんと
誓って瞑目したと伝えられる。
爾来、酒封じの神として酒に苦しむ
当人や家族の多数参拝するところとなり
酒弊の除滅に信を得ている。墓碑周辺の
杓文字は参拝者による酒封じ祈願
墓碑は元和2年(1,616)に建立
されたものである。
 

メディアクリップ

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