生きた文化財を求めて
 さまざまな文化の道がある。さまざまなルートをたどって、さまざまな文化が日本へ、東北へ、山形へとやって来た。そして、それぞれの地に根を下ろし、育まれ、それぞれに個性を刻まれた地域の文化へと展開していった。あるいは、山形の地に根生いの文化もあるかもしれない。そこに刻まれた個性と普遍性とを、ともに掘り起こしながら、わたしたちは文化というものを眺める訓練を重ねてゆく必要がある。
くりかえすが、壮麗なる神社や仏閣、また仏像や絵画といったものだけが、守られるべき文化財なのではない。たとえば、「生きた文化財」とでも称すべきものが、ささやかな暮らしや生業のなかに、ひっそりと声もなく埋もれているのである。山村で使われてきた、樹皮やツルを素材とするカゴなどの道具類には、数千年の暮らしの時間が宿されている。だれも暮らしの道具を文化財とは考えないが、これは疑いもなく常民の生きた文化そのものである。あるいは、縄文の美しい土偶と、山の神神社に奉納されている女神像とは、むろん直接の連続性を認めることはむずかしいが、それぞれに縄文と現代のヴィーナス像でありえている。豊かな精神世界が見え隠れしている。
 また、草木塔やサケの千本供養塔には、生きとし生けるもののすべてに「いのち」を認め、その「いのち」を奪わずには、みずからの「いのち」を繋ぐことができない人間たちの、敬虔なる「いのち」への感謝の祈りが込められている。自然保護の思想や運動がほんとうの意味で成熟を遂げるためには、こうした草木やサケにたいする供養の塔にこそ、しっかりと眼を凝らす必要があるのかもしれない。人間にとって、草や木は山の幸であり、サケは川の幸であるが、それは縄文以来の大切な暮らしの資源でもあった。小さな石や木の塔は、いわば数千年の長い歴史の証言者であり、語り部であり、また、「生きた文化財」でもあることを忘れてはならない。
 かつては、囲炉裏端で、老人たちが孫たちに向かって語りかけるものであった昔話や民話なども、あきらかに「生きた文化財」のひとつであった。土地の匂いのする物語の群れのなかには、常民の暮らしの知恵がぎっしり詰まっている。山形県内には、民話の語り部が数多く健在であり、活躍している。民話をたんなるノスタルジーの対象にしてはならない。そこから、あたらしい時代への知恵が汲み上げられるような、そんな現代の民話が存在する。かすかな語り部たちの声に耳を澄まし続ける必要がある。
 文化はたいへん多様な顔をもつ。文化はそれぞれの時代ごとに、くりかえし発見され、そのつど新たな意味やイメージを付与されることで、甦る。高度経済成長期以降の、暮らしの激変のなかで失われていった「生きた文化財」が、数多くある。それらを見つめなおし、そこに秘められた歴史を掘り起こす作業を重ねながら、山形の文化の個性や輪郭を明らかにしてゆくことを願う。「山形の文化」はいま・ここから、新たに発見されなければならない。