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「国民歌謡」を聞く

カテゴリ: さまざまな音楽を聴く
(登録日: 2004/07/03 更新日: 2024/03/11)

藍川由美『「國民歌謡〜われらのうた〜國民合唱」を歌う』


『「國民歌謡〜われらのうた〜國民合唱」を歌う』
歌:藍川由美、ピアノ:齋藤京子 (2000年、日本コロンビア)
収録曲:1.心のふるさと、2.朝、3.椰子の実、4.ふるさとの、5.むかしの仲間、6.春の唄、7.海ゆかば、8.大日本の歌、9.白百合、10.出征兵士を送る歌、11.旅愁、12.紀元二千六百年、13.かえり道の歌、14.燃ゆる大空、15.隣組、16.用心づくし、17.南進男児の歌、18.歩くうた、19.めんこい小馬、20.朝だ元気で、21.子を頌ふ、22.御朱印船、23.学徒進軍歌、24.ああ紅の血は燃ゆる
 

雑記帳


日本の歴史の中で昭和10年代ほど急激な変化を遂げた年代はないと思われます。国は既に大陸への軍事進出を進め、国民にもその足音が聞こえていました。日中戦争の戦局が急展開するのは1937年の「盧溝橋事件」以降です。太平洋戦争、出兵、国民の統制強化、国民生活の窮乏、空襲、焦土と化した国土、敗戦。いわゆる1ディケード(decade=10年)という期間にこれほど国の存亡の変化が詰まった期間はないだろうと思われます。この10年間に「国民歌謡」が重なり合います。

放送を通じた音楽文化の普及啓発。戦前・戦中の「国民歌謡」に始まり、戦後の「ラジオ歌謡」〜「みんなのうた」と受け継がれる放送音楽の起点が「国民歌謡」です。

「国民歌謡」が1936年(昭和11年)に始まったのも振り返ってみれば皮肉なものでした。藍川由美の解説によると、1936年に始まった「国民歌謡」は、1941年には「われらのうた」、1942年には「国民合唱」に名称が変わったと言います。国民に明るく健康的な歌を普及啓発しようとの当初の狙いは数年を経たないうちに崩れ、否応なしに国家統制のプロパガンダの手段へと転じました。藍川由美『「國民歌謡〜われらのうた〜國民合唱」を歌う』を聞いて、これまで断片的には知っていた「国民歌謡」に対しては、かなり具体的なイメージを得ることができました。

「国民歌謡」が今日あまり知られていないのは、時局柄、国家統制、国威発揚などの曲が総じて増え、過去のいまわしい音楽として忌避されたことに理由があるからでしょう。事実、このCDをがんがん鳴らすと右翼と誤解されることが避けられません。かなりアブナイものであることに留意しつつ、自己責任で聞かなければならないことを強いられるのはいささか窮屈な思いがするものです。
 

歌のア・ラ・カルト


2.『朝』
何度か聞くうち、すっかりそらでメロディーが再現できてしまうぐらいに覚えやすい歌である、というのが特徴の曲です。

3.『椰子の実』
これもあまりにも有名な曲。時代を超えて歌い継がれる名曲です。

4.『ふるさとの』
この曲は、映画『ふるさと』(監督:溝口健二、1930年)で主演の藤原義江が歌っていたので記憶にあります。映画がトーキーになり、トーキーのメリットを活かす映画として藤原義江の歌を聴かせる映画が企画されたものと思われます。溝口の映画としてはかなり平凡。また、この曲が後年、「国民歌謡」になったことが不思議な感じです。

6.『春の唄』
ある意味、最も「国民歌謡」らしい曲かもしれません。いわゆる「歌謡曲」ではなく、また「歌曲」のような高い芸術性を目指さず、また「唱歌」でもなく、誰もが健全に歌える、質の高い曲。こういう曲が少なかったのかもしれません。「♪ラララ、紅い花束車に積んで…」。1937年はこういう、ある意味自由な創作が許容された最後の時代かもしれません。

7.『海ゆかば』
この曲の崇高な美しさ、陶酔感は時代を超越しています。日本の歌の傑作と言える名曲です。ただ国家と不可分に結びついていたのが最大の不幸です。かつてナチス・ドイツがヴァーグナーの『神々の黄昏』をプロパガンダに使い、国家が破滅していくプロセスと重なり合ってしまった。『海ゆかば』もまたそうしたものでした。

10.『出征兵士を送る歌』
いきなりこういう戦時色の強い歌が「国民歌謡」に登場して面食らいます。しかもこの悲壮感。明るく健全な「国民歌謡」が戦意高揚の道具となり、悲壮感漂う歌として登場してきたインパクト。このCDの選曲がそうした意図を持っています。

12.『紀元二千六百年』
国の雄々しさを讃える明朗な歌。「国民歌謡」ではないので、このアルバムには収録されていませんが、『愛国行進曲』『太平洋行進曲』など国威発揚につきものの明朗さは、この『紀元二千六百年』でも同様です。レコード会社各社から発売されましたが、ビクターのレコーディングが最も格調が高いものでした。徳山たまき、浪岡惣一郎、四家文子、中村淑子の歌によるもの。徳山たまき、四家文子の声質は、祝祭的なこの曲の歌唱に合っています。明朗で毒気が少なく感じられるのも、この曲の危険な側面です。この曲の後、わずか5年の間に米英への戦線布告から敗戦まで突き進んだわけです。

14.『燃ゆる大空』
この曲は戦意高揚のプロパガンダです。興味深いのは山田耕筰が作曲したこと。日本を代表する作曲家・山田耕筰の経歴に汚点を作ってしまった。

15.『隣組』
国民の末端までを国家統制下におく組織としての「隣組」。この歌はその国策と切り離すことができません。ただ、それを抜きにすると、今で言う「コラボレーション」を実にわかりやすく、表現しています。「知らせられたり、知らせたり」「教えられたり、教えたり」。これが地域社会から失せてしまったのが、今日の地域コミュニティの甦生が必要とされる由縁です。まさに「隣組」で歌われたようなことが地域社会に復活すればよいわけですが。かつての国家統制の「隣組」というコンテクストから自由になる、発想の転換が必要かもしれません。

16.『用心づくし』
この曲はこのCDで初めて聞きました。「すっぱい」と「スパイ」が掛け合わされています。音だけで歌を聞くと、ちょっと意味がわかりにくい。「すっぱい臭いのご飯と見たら、食べな猿だよ、饐(す)えている よう人生、よう人生」とも聞けます。ではなく、「食べなさるなよ」…「用心せい、用心せい」。もともとこういう誤解を与えるように巧妙に歌詞を書いたものかもしれないという気がします。

18.『歩くうた』
この歌も面白い。面白いというのは、重っ苦しい厭世的な雰囲気が時代の雰囲気を象徴的に表していると思うからです。よくこういう厭世的な歌を当局が許したものだと思います。戦局が泥沼と化し、先行きの見えない感じ、というのがよく表現されています。

19.『めんこい小馬』
この曲もまた名曲です。CDの解説に付されてはいませんでしたが、おそらく映画『馬』(監督:山本嘉次郎、1941)の主題歌ではなかったかと思います。黒澤明監督の師匠、山本嘉次郎は大した映画を残しませんでしたが、この『馬』は唯一の名作。実際には助監督の黒澤明がかなりの部分を撮影したと言われています。少女(映画では高峰秀子が演じた)が、小馬を育て、軍馬として売られ、愛馬と別れるまでの感動の物語。映画もよかったですが、この歌もまたよい。陸軍と不可分に結びつき、単純によい曲として聞けない不遇の曲、です。
 
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