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ミッチーのほぼ日記

偽りの花園(1941) The Little Foxes

カテゴリ: 映画作品解説
(登録日: 1985/00/00 更新日: 2024/02/22)


サミュエル・ゴールドウィン 白黒 116分
監督 ウィリアム・ワイラー 脚本 リリアン・ヘルマン 撮影 グレッグ・トーランド
出演 ベット・デイヴィス,ハーバート・マーシャル,テレサ・ライト,他

この解説は、『ワセダ・フィルム・ライブラリー(アメリカ映画・トーキー期 1930―1949)』(1985年,早稲田大学大学院文学研究科)掲載原稿を転載したものです。(執筆:前川道博)
 

解説


 リリアン・ヘルマン(1905〜84)の戯曲を,彼女が脚色,ウイリアム・ワイラーが監督した作品である。

 『この三人』(1936,原作・脚色へルマン),『デッド・エンド』(1937,原作シドニー・キングスレー,脚色ヘルマン),『偽りの花園』と,ゴールドウィンでのワイラーは,8本の自作のうち3本でヘルマンとつきあうことになったが,これにはヘルマンの方にいきさつがあった。彼女は,MGMで小説や戯曲から映画化に適した作品を選び出す仕事を薄給で請負っていた。やがて彼女の処女作『子供たちの時間』(1934)が大当りをとり,さっそくMGMから映画化の申込みがあったが,彼女はそれを蹴ってゴールドウィンに売込んだ。そして映画化されたのが『この三人』である。これはワイラーにとっても演出の真価を問う快打となった作品である。人間の偽善やエゴを暴いてみせるヘルマンの作品は,もともとMGMの商業主義的社風とは不釣合だったろうし,独立気鋭のゴールドウィンで,それもワイラーが再三彼女の作品を演出できたのは,双方にとって幸運なめぐり合せだったと言うべきであろう。

 『偽りの花園』は,まずヘルマンのドラマによって注目される作品であると同時に,技術的な面からも高い評価を与えられた作品である。ワイラーは,この作品で望み通りの完璧な演出を成し遂げたと言われているが,彼の演出を技術的に支えたのが名カメラマン,グレッグ・トーランド(1904〜48)である。トーランドは,ワイラーがゴールドウィンで監督した作品のうち,『孔雀夫人』(1936)を除く全作品の撮影監督をつとめ,『風が丘』(1939)ではアカデミー撮影賞を得た。今日では,オーソン・ウェルズ監督による傑作『市民ケーン』(1941)で驚異的なパン・フォーカス撮影を実現させたカメラマンと言った方が名の通りがいいかもしれない。

 『偽りの花園』は,トーランドが『市民ケーン』に引き続いて撮影を担当した作品であり,『市民ケーン』での技術的達成に「わが意を得たり!」の思いで接したワイラーは,トーランドの全面的な理解と協力の下に綿密な画面設計を行った。しかし,ワイラーが考えた演出は,『市民ケーン』でのエキセントリックな技術的誇示とは全く異なり,逆に現実的な自然さを演劇的演出のうちに獲得することだった。その経緯をアンドレ・バザンは次のように伝えている。――演劇的な脚本の形式と舞台装置を尊重し,行為の強調を俳優の仕事として考えるワイラーは,「劇的な公正さへの意志」のため,舞台装置も照明もレンズも皆「中立的性格」を目ざした。そのためトーランドは,「かつて世界のどの映画においても行われたことがなかったと思われるほど,極端にレンズを絞らなければならなかった。」(「ウィリアム・ワイラー,または演出のジャンセニスト」,『映画とは何かU』小海永二訳,美術出版社)

 地味な仕事ではあったが,この演出技術は公開当時から識者の注目を浴びたようだ。批評を引用してみよう。――「グレッグ・トーランドの助力を得て,ワイラー氏は充足感に満足した家族についての数知れない微細なディテールと,多くの登場人物に関する,より直截な側面を見渡すべくカメラを使用した。フォーカスは鋭く,映像の感触は硬く,リアリスティックである。」(『ニューヨーク・タイムズ』1941年8月22日付)また登川直樹は,「『市民ケーン』が技術実験的な調子を拭いきれなかったのに比して,ワイラー作品ではこれをもって様式上の統一をはかったという意味で『偽りの花園』のパン・フォーカスは格別な意義をもつものであった。」(『キネマ旬報』1954年3月下旬号)と述べている。

 ワイラーは,この作品では,パン・フォーカス撮影によって画面に必然的に招き入れられる空間の歪みを極力抑制しながらも,それ以前の自作にはみられなかったほどの空間的戦略を全面的に実現させてみせた。たとえば『孔雀夫人』では,舞台空間の単一の奥行を中心化する構成において,空間的統辞が図られていたが,この作品では,カドラージュ優位のデクパージュが行われ,劇的効果へ向けての工夫がさまざまに試みられている。つまり,多様なカメラ・アングルの使用(特に俯瞰と仰角),カメラと被写体間の距離・方向・大きさの関係に基づいたカドラージュ,階段のような舞台装置内の傾斜面の強調,画面外空間(あるいは焦点外空間)の意識的利用,鏡による別空間の同一画面内への重ね合せ,人物の視線の役割の重視,装置内の意匠(たとえば前後に交錯しあう階段の手すりの幾何学的様相)の強迫的反復提示等々。このような戦略の数々は,個々の人物の心理や相互の葛藤を浮彫りにし,腹黒い策略の渦巻くドラマの状況を緊密度の高い展開にまとめあげるのに役立っている。

 また,演劇的形式に忠実であろうとするワイラーの演出が,逆に映画的空間の創造に寄与したことは,〈見た目〉の主観ショットが極力排除され,フル・ショットとクロースアップが多用されるなど,いわゆるハリウッド・コードの放棄が目立つ点からも指摘できるだろう。
 

物語


 「小狐どもはいつの時代にもまたどこにでも棲んでいる。この家族は草深き南部のある町に住む家族である。時は正に1900年。」(冒頭字幕)

 富裕な銀行主ホレス・ギデンスは,ながく心臓を患い,ボルティモアで入院療養中だった。妻レジナは夫を見舞いもせぬ冷たい性格の女で,彼女にはべン・ヒューバードとオスカーの2人の兄がいた。ヒューバード兄弟はもうかることなら何でもしかねぬ連中で,南部貴族の娘バーディとオスカーが結婚したのも,そもそもは兄のベンが,バーディの家の持所であったライオネット農園と彼女の家の名誉を手に入れるのが目的だった。農園と名誉を利用して2人は暴利をむさぼり,彼らに失望したバーディは,ホレスと彼の娘のアレグザンドラに好意を寄せていた。

 ヒューバード兄弟は,シカゴの実業家ウィリアム・マーシャルと結んで,南部の安い労働力を餌に,町に紡績工場を建設しようと画策,レジナも兄たちに加担した。工場建設協議のため町を訪れたマーシャルは,兄弟の歓待に満足してシカゴに帰ったが,さし迫った契約を前に,2人の兄はホレスの分の投資負担額7万5千ドルをレジナに出費するよう強請した。レジナは投資資金を夫から出させようと,娘アレグザンドラをボルティモアにやって夫を連れ帰らせた。またオスローは,ギデンス家の財産目当てに息子のリオをアレグザンドラと結婚させようと思い,利害を同じくするレジナも反対しかねていたが,彼女には新聞記者デイヴィッド・ヒューイットという恋人がいた。ホレスの銀行に勤めるリオから,銀行の金庫にホレスが90000ドルの債券をしまいこんだままになっていると聞いたオスカーは,自らも工場の配当にあずかろうと,虎視眈々とその債券を狙った。

 ベンとオスカーは,マーシャルとの取引きの時期が早まったため,ホレスを再度説得したが,彼らの手口に嫌気のさしていたホレスは終始取引きを拒んだ。手をこまねいたオスカーは,レオを使ってついにホレスの債券を盗み出させた。ホレスは,金庫に入れておいた遺言状を直そうとして債券の紛失を知り,すべてを察した。

 ホレスは,盗まれた債券が妻の思い通りに利用されないよう,弁護士と相談して事後策を練った。ホレスが弁護士を呼んだとの知らせにオスカーとレオは神経をいらだたせた。その夜,ホレスは2階の寝室から降りて,レジナには債券75000ドル分だけを残し,他の財産全部をアレグザンドラにゆずるように遺言状を直すとレジナに告げた直後,激しい発作に襲われた。ホレスは,鎮静剤をとってきてくれるようレジナに頼んだが,彼女は黙殺した。ホレスが自分でとりに行こうとして階段の上で卒倒した時,レジナは初めて大声をあげて人を呼び手当をした。

 卒倒後まもなくホレスは息をひきとった。レジナは,債券を盗んだ兄たちを非難,債券が既にマーシャルの手に渡っているのを証拠に告訴し,利益を1人じめにしようとたくらんだ。そんな母に清純なアレグザンドラは耐えることができず,彼女は母を見捨ててデイヴィッドの許にはしった。結局,子供からさえも背かれたレジナは, 窓のかげから2人を寂しく見送った。
 
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