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真田氏の軌跡

上田市の町名の由来

カテゴリ: 真田昌幸の生きた道 地域: 上田市
(登録日: 2017/01/23 更新日: 2017/01/30)

町名の暗黙のルール


町名の「町」の言い方には、「ちょう」、「まち」が混在しています。
それには理由があります。
侍が住む町は「ちょう」、商人が住む町は「まち」と分けられていました。
(編集者 88)
 

原町(はらまち)


原町

天正11年(1583)に、真田昌幸が上田城を築き城下町造りを始めました。
このとき、真田氏と縁の深い原之郷(現真田町本原)から住民を移住させて造った商人町です。
また、原町は海野町とともに、上田城下町のうち最初にできた町です。
(原町の説明板より)
 

海野町(うんのまち)


海野町

天正11年(1583)、真田昌幸は上田城を築き、城下町造りを始めた。
このとき、真田氏と縁の深い海野郷(現東部町本海野)から住民を移住させて造った商人町。
原町とともに、上田城下町のうち最初にできた町である。
(海野町の説明板より)
 

大手町(おおてまち)


大手町

天正11年(1583)上田城築城のあと、大手口から二の丸の道筋に造った武家屋敷の町で、
新参町(しんざんちょう)と呼ばれ、仙石氏、松平氏時代には、上級武士が住んでいた。
戦後になって大手町と改名された。
(大手町の説明板より)

お城の縄張り跡だと分かる特有のS字カーブが印象的。
分かる人には枡形跡だと瞬時に見てとれます。
皆さんも上田城の玄関口を通って、上田城へ攻めましょう。
 

紺屋町(こんやまち)


紺屋町

天正11年(1583)上田城築城のあと、真田氏と縁の深い海野郷(現東御市)から、
紺屋(染物屋)を移して造った町。
宝永3年(1706)には、紺屋が10軒あった。
後に、上紺屋町と下紺屋町とに分かれた。
(紺屋町の説明板より)

紺屋町の公民館には、紺の文字が刻まれた瓦を見ることができます。
 

柳町(やなぎまち)


柳町

柳町は、原町と紺屋町をつなぐ街道筋に、旅籠屋や商家が軒をつらねるようにしてできた町。
町名は、町筋に柳の木の多さによるという。
文化元年(1804)この町には呉服屋が25軒もあって、賑わっていた。
(柳町の説明板より)

この町は、地元にも観光客にも親しまれています。
歩いてみると昔の雰囲気を感じることができます。
近くを流れる矢出沢川と橋と建物が合わさったときの雰囲気は何とも言えない情緒を感じます。
 

鷹匠町(たかじょうまち)


鷹匠町

真田氏によって造られた城下町のうち、
城の南東に鷹匠の住居として造られた町。

真田氏の後、仙石氏の時代、寛文3年(1663)の記録に、
「鷹匠其の他、扶持人の屋敷42軒」と記されている。
(鷹匠町の説明板より)
 

横町(よこまち)


横町

海野町が発展するにつれて、旅籠屋・商家職人などが増加したために、海野町から南に折れた
街道筋にできた横の町から、横町と呼ばれたことに由来される。
この町は北側にも延びて鍛治町に続く。
横町と鍛治町には寺が多く、城下町の防備のためといわれている。
(横町の説明板より)
 

房山(ぼうやま)


房山

房山(望山)は古くは東太郎山のことを指したが、
永正3年(1560)には太郎山麓一帯の地を房山と呼んでいる。
天正11年(1583)上田城築城時、真田昌幸が城下囲八邑(村)の一つとして重視し、
屋敷割りを行い、山麓に散在する住民を移住させたのがこの町の始まりです。
(房山の説明板より)
 

鎌原(かんばら)


鎌原

真田氏が城下町造りを行い、さらにその周囲に城下囲八邑(村)の一つとして、
屋敷年貢を免除し太郎山麓に近い新屋等から移して造った村。
上田城築城時の古地図にも、新鎌原と記されている。
(鎌原の説明板より)
 

袋町(ふくろまち)


袋町

元和8年(1622)上田城主が真田氏から仙石氏に代わると、馬場町側から道をあけて、
武家屋敷の町を造った。
道が行き止まりになったことから、袋町と呼ばれた。
後に袋を破り、海野町へ道が通じたということから、
この道をねずみ小路と呼ぶようになった。
(袋町の説明板より)

昔は、武家屋敷の町として厳格を保っていたと考えられます。
しかし、現在は夜の町の雰囲気が色濃くなっています。
いったい何があったのか。調べてみる対象としては面白いかもしれません。
 

蚕影町(こかげちょう)


蚕影町

明治21年に完成した「上田停車場」の下に眠る「蚕影神社」から由来される。
この周辺は一面桑畑だったが、明治33年に小県蚕業学校(現上田東高校)が出来上がると、
通学路として賑わった。
また、常田館ができ、製糸業が盛んになると、蚕の道(シルクロード)として全盛期を迎えた。
(蚕影町の説明板より)
 
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