秋の行事

「八朔」には、最後の豊作を祈願する、というような作だのみの側面がありました。農作業の最後の山場にあたる時だったようです。二百十日の「風祭り」は村山地方では朝日町大谷、河北町沢畑、東根市などで現在も行われています。「菊の節句」の菊の花は名花であり、菊酒は不老長寿の妙薬といわれました。「刈り上げ」は収穫の餅をついての収穫祭になります。農家にとって、一年で最も笑みのこぼれる時節でした。「お田の神祭り」は田の神が山の神になる日です。各農家では一年の豊作を感謝し神を送りました。この日は地域によって異なり、九月二十九日、十月十日などの所もあります。「鮭の大助」の伝説は東北地方に集中し、特に山形県に多くみられます。村山地方では、寒河江川流域の寒河江市や河北町溝延、天童市津山、尾花沢市などに伝わっています。

《八月》 朔日:八朔


青豆を入れてご飯を炊き、青カヤの箸で腰のまわりをまわし「あぶ・か・はえ・はちなどに刺されぬように」と三回唱えてから食べた。農家では田の神に最後のお願いをする祝日である。「たのみの祝」ともいう。
 

朔日:湯殿山の八朔祭


湯殿山神社に新穀を供える。湯殿山詣りは八朔で終わり。
 

十五日:豆名月


枝豆をゆでて満月に供える。「隠れて十五軒の家の豆を食べると幸せになる」という。
 

《九月》 一日頃:風祭り


(八月三十一日)
氏神に大風(台風)除けを祈願し、酒・肴でなおらいをする。

 

一日頃:霜祭り


霜除け祈願をする。
 

九日:菊の節句


白餅(しとぎ)に菊を添え氏神に供える。
 

九日:菊の灸立て


菊花で身体をなでる。
 

九日:山の神の菊見


年祝いの人は造花を山の神に供える。
 

一三日:芋名月


里芋を煮て満月に供える。「隠れて一三軒の芋を盗んで食べると幸せになる」という。
沼山では、「お供えした芋を乾燥させ、冬喉が痛むとき煎じて飲めば痛みがやわらぐ」といわれた。

 

二十三日:秋彼岸


中日にボタ餅をついて先祖の霊に供え、また親しい近所にも配る。
終わり日にお立ち団子を作る。

 

(旧)二十九日:刈り上げの餅


どこの家でも餅をつき、神に豊作を感謝する。「刈り上げの餅はほえど(乞食)もつく」ともいわれている。
砂子関では刈り上げ餅を九月二十八日につく。明治戊辰のとき、官軍によって本道寺が荒らされたが、その日が九月二十九日で、せっかくついた刈り上げ餅をみんな官軍に食われてしまった。それ以来刈り上げ餅は一日早く二十八日につくようになったのだ、という話がある。

 

《十月》 一日:刈り上げ


月山沢では十月一日に月山神社に刈り上げ餅を供える。「刈り上げの日に餅つきが遅いと仕事が遅れる」という。
 

一日:かかし休め


田や畑のかかしに感謝して解体する。
 

一日:若衆休み


年雇若衆に小遣銭をあげ里に休みに帰す。
 

十日:菜の年越し


この日まで菜をとらずにいると大きく成長する。この日一日大根・白菜・蕪などの野菜類を食べない。
 

十六日:お田の神祭り


田の神が山の神となる日。農家では餅や稲一束を床の間に飾り田の神に感謝する。
 

二十日:鮭の助


サケノ(オオ)スケが川を登る日といわれる。
砂子関では、大きなまないたと包丁を背負って鮭の助が「鮭の助、今ここ通る」といいながら川を登ってきて、その声を聞くと聞いた人は死んでしまうから早く寝ろといわれた。
大井沢では、その姿を見たものは急死するといわれ、この日は川辺に行かぬようにしていた。
寒河江川は岩盤の上を流れるため雨水でもにごらない川であり、かつては鮭鱒も登ったという。

 

二十日:二十日講


えびす様に生魚を供えて一家の幸福を感謝する。
 

二十日:えびす講


商家が得意客を招き酒宴をはる。未婚の女性は売れ残るからといってえびす講に供えたものを食べない。
 
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