| 尼ヶ淵(あまがふち):城の南側
 
 尼ヶ淵は高さ約12メートルあり、上田泥流層の崖とともに、敵の侵入を難しくしていました。
 また、江戸時代には千曲川が流れていたことが、さらに防備は強固なものとなっていました。
 
 ところが、千曲川が増水した際に、崖を川の水が削ってしまうことから、歴代の城主が対策に頭を痛めていました。
 崖面に築かれた石垣には、「算木積み」という古い技法と考えられるものもあり、
 仙石氏の頃、あるいはそれ以前に築かれていた石垣である可能性もあります。
 そして、享保17年(1732)の大水では、ついに崖が大きく崩落してしまいました。
 そのため、当時の城主・松平忠愛(ただざね)は崖を守るための石垣の築造を計画し、翌年から工事が始まりました。
 しかし、享保21年に石垣は完成しますが、石材と石工不足から当初の計画通りにいかず、南櫓と西櫓の下を除いて、石垣は低くなったり、造られずに終わってしまいました。
 (尼ヶ淵の説明板より)
 
 (編集者 4班 88)
 
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