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長大前川ゼミ:地域の記憶

[13/10/11]大阪城A極楽橋〜秀頼・淀殿ら自刃の地

カテゴリ: 真田氏の史跡(大阪) 地域: 大阪
(登録日: 2014/10/17 更新日: 2019/05/21)

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記録日: 2013/10/11

 大阪の役には真田幸村の息子・大助も参加しました。安居神社で戦死したとされる幸村と違い、大助は大坂城で豊臣の家臣と同じく自害したとされています。
 大阪城敷地内には自刃した家臣たちを供養する供養塔が建てられており、大助の名前も刻まれています。
 真田大助は幸村が九度山に配流された前後に生まれたとされているため、上田ではあまり名が知られていません。大阪城は大助の足跡を感じることができる貴重な場所だと思います。
 

極楽橋説明

(1件)
01 極楽橋説明


極楽橋
 山里丸と二の丸とを結ぶ橋である。豊臣秀吉が天正11年
(1583)に築造を開始した大阪城でもこの付近に架けられた橋
を極楽橋と呼び、大坂夏の陣による落城後、徳川幕府が再築した
時にも架け直された。江戸時代には幅約8メートル(4間)の
木造で、慶応4年(=明治元年、1868)に起こった明治維新の
大火によって焼け落ちたが、97年後となる昭和40年(1965)
に再架橋された。現在の極楽橋は長さ約54メートル、幅約5.4
メートルで、橋脚【きょうきゃく】・主桁【しゅげた】を鉄筋コ
ンクリート造としつつも、上部は歴史的景観に配慮し伝統的な擬
宝珠高欄【ぎぼしこうらん】としている。「極楽」とは仏教で説
かれる安楽の世界をさすことから、戦国時代この地にあった浄土
真宗本願寺派の本山、大坂(石山)本願寺以来の名称ではないか
と考えられている。
 

秀頼・淀殿ら自刃の地説明

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01 秀頼・淀殿ら自刃の地説明


秀頼・淀殿ら自刃の地
 慶長20年(=元和元年、1615)の大阪夏の陣では、旧暦の5月
8日、徳川軍に追い詰められた豊臣秀頼とその母淀殿が、山里丸
にあった櫓にひそみ、自害したと多くの記録が伝えている。
 それにちなんで平成9年(1997)、現在の山里丸の一画に大阪市
の手によりこの記念碑が建てられた。
 

メディアクリップ

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09 [13/10/11]大阪城A極楽橋〜秀頼・淀殿ら自刃の地 10 極楽橋説明 11 極楽橋@ 12 極楽橋A
13 極楽橋B 14 秀頼・淀君自刃の地 15 秀頼・淀君自刃の地説明 16 [13/10/11]大阪城A極楽橋〜秀頼・淀殿ら自刃の地
17 [13/10/11]大阪城A極楽橋〜秀頼・淀殿ら自刃の地 18 [13/10/11]大阪城A極楽橋〜秀頼・淀殿ら自刃の地 19 [13/10/11]大阪城A極楽橋〜秀頼・淀殿ら自刃の地 20 [13/10/11]大阪城A極楽橋〜秀頼・淀殿ら自刃の地
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