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ミッチーのほぼ日記

[14/09/20]姫路城・中村大佐顕彰碑

カテゴリ: 姫路まちあるき2014 地域: 兵庫県
(登録日: 2014/09/21 更新日: 2024/02/22)


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記録日: 2014/09/20

明治時代、数多くの城郭が取り壊された中、姫路城はある意味奇跡的に保存され、今日では日本の城郭を最も代表する城となり、国宝となるだけではなく、世界文化遺産にも登録され、日本の歴史文化のシンボルとなりました。その保全に最も功績のあった人物が中川大佐です。

姫路城の中で中川大佐の顕彰はこの石碑によってされているのみですが、先人の功績をこうやって後世に伝えることの大切さをこの石碑からも教えられます。
 

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姫路城と中村大佐

 日本古来の城郭は兵器の発達にともなって、無用のものになり、明治6年(1873年)のはじめ、太政官は全国の城郭125の廃棄を布達し、姫路城など56の城が残されました。しかし、その後各城とも腐朽がはなはだしく、姫路城も取りこわしのため、市内の神戸某氏が23円50銭で落札したほどでした。
 陸軍省第四局長代理中村重遠大佐は、先人の築いた名城はぜひ後世に残さねばならぬと考え、陸軍卿山県有朋を説いて、名古屋城と姫路城は陸軍の費用で修理することになりました。
 中村大佐は、明治17年(1884年)45歳で亡くなりましたが、文武に達した古武士風の人だったといわれています。
 

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