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ミッチーのほぼ日記

[13/12/14]本所御蔵跡(横網一丁目遺跡)

地域: 東京都
(登録日: 2015/02/08 更新日: 2024/02/22)


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記録日: 2013/12/14 東京都

2週間前にも江戸東京博物館へ来たばかりです。再び江戸博を訪れましたが、どちらかというと単に立ち寄り通過しただけです。今回は、江戸博そのものよりもその周辺の広い一画を「本所御蔵」の跡地として眺めてみました。

江戸東京博物館とその周辺のこの広い土地が江戸時代に幕府の米蔵であったことを想像してみると、この地域の歴史が見えない風景の中に見えてきます。
 

説明板クリップ


本所御蔵跡(横網一丁目遺跡)
所在地 墨田区横網一〜二丁目


 JR両国駅から横網町公園にかけての範囲には、江戸時代、本所御蔵という幕府の御米蔵がありました。現在の江戸東京博物館、墨田区立両国中学校、日本大学第一中学・高等学校、国技館の一部も御蔵の敷地内に含まれています。享保十九年(一七三四)、四万四千坪(約十四万五千m2)の広大な敷地に、十二棟八十八戸前の倉庫群が造られ、御米蔵として使われ始めます。安政五年(一八五八)までには三十七棟二百四十六戸前にもなる増築がなされました。絵図を見ると、蔵の建物の間には隅田川から導かれた舟入の堀が設けられていたことがわかります。本所御蔵は、俗に「御竹蔵」とも呼ばれました。
 平成十三年(二〇〇一)、現在のNTTドコモビル建設工事の際、慈善に発掘調査が行われました。その結果、御蔵の一部と考えられる掘割や護岸の跡が見つかり、徳川家の家紋である三葉葵紋の瓦も出土しています。また、近代の建築跡と、「陸軍被服廠」と書かれた木製の荷札がまとまって見つかりました。本所御蔵は明治五年(一八七二)に廃止され、跡地には陸軍被服廠(衣料品を取り扱う施設)が置かれましたが、こうした荷札群の出土は珍しく、当時の物資輸送事情を物語る貴重な資料と考えられています。
 本所御蔵があった範囲内では、他の地点でも杭柵護岸や、近代の石組護岸や橋脚などが確認されています。両国中学校と横網町公園の敷地の一部からは江戸時代の陶磁器などが出土しました。

墨田区教育委員会

 

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