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ミッチーのほぼ日記

[13/12/14]尺振八の共立学舎跡

地域: 東京都
(登録日: 2015/02/08 更新日: 2024/02/22)


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記録日: 2013/12/14 東京都

明治の数多い偉人の中でも福沢諭吉は著名ですが、尺振八(せきしんぱち)の名前はこのまちあるきの中で、この説明板を見ることにより初めて知りました。諭吉の慶応義塾と並ぶ英学を学ぶ学校「共立学舎」があったことも知らず、多くの人材を育成したことも知らず、本当に知らないことばかりです。たまたま両国で共立学舎跡を通りすがったわけですが、一地域に埋もれる名前ではもちろんありません。
 

説明板クリップ


尺振八の共立学舎跡
所在 墨田区両国四丁目八番周辺

 尺振八は天保一〇年(一八三九)、下総高岡藩の医師の子として生まれました。万延元年(一八六〇)二二歳の尺はジョン万次郎や英学者西吉十郎らから英語を学び、文久元年(一八六一)からは福沢諭吉もいた幕府外国方に通弁(通訳)として勤めました。
 尺は幕府の同三年(一八六三)の遣欧、慶応三年(一八六七)の遣米と二度の使節団に随行してじかに西洋文明に接しました。
 とりわけ、アメリカでは諭吉、津田仙と共に教育施設も視察して帰国し、やがて諭吉は「慶応義塾」を、尺は明治三年七月に相生町のこの地に「共立学舎」を開くことになります。
 「共立学舎」は寄宿制英語塾でしたが、英語だけにとどまらず、漢字教育も行った洋漢兼学のバランスのとれた私塾であったために開塾後わずか半年で一〇〇名を越える生徒数を誇りました。
 尺はスペンサーの『教育論』を翻訳した『斯氏教育論』を刊行、自由民権運動の理論書として数多くの人々に愛読され、また未完の『明治英和字典』(死後、英学者永峯秀樹が後を継ぐ)の記述や多くの人材を輩出するなどの業績により、”現代英学の祖父”とも呼ばれ、諭吉と共に近代教育の幕開けを演じましたが、同一九年一一月二八日、四八歳の若さでこの世を去りました。
 平成八年三月
墨田区教育委員会
 

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