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ミッチーのほぼ日記

[12/10/07]逢坂、大坂夏の陣の主戦場

地域: 大阪府
(登録日: 2014/09/28 更新日: 2024/02/22)

【CC-BY-NC-SA】

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記録日: 2012/10/07

この緩やかな坂道の勾配が実に印象的です。大阪(大坂)の地名の謂われとされる上町台地の傾斜面が実によく感じられます。坂道の下には海が広がっていたことがよくわかります。

ここ逢坂は真田軍の本陣となった茶臼山に近く、大坂夏の陣の主戦場となった場所です。真田幸村が大坂夏の陣で戦死した場所と伝えられているのが安居神社です。安居神社は逢坂に面しています。その向かいに一心寺があります。夏の陣では5万名もの兵士がここで戦死したと伝えられています。一心寺のホームページには、「当時の一心寺住職存牟上人は、夏の陣の後、放置されていたこの戦士たちのおびただしい遺骸を境内に集め、荼毘に付しねんごろに供養した」と記されています。

ところで大阪は文楽発祥の地。文楽『傾城阿波の鳴門』は空堀町が舞台。真田丸とセットになった空堀の痕跡の上が『傾城阿波の鳴門』の舞台になるという幸村との間接的因縁だったわけです。大坂の陣と真田幸村は文楽『近江源氏先陣館』『鎌倉三代記』に名前を変えて登場しています。ここ逢坂は文楽『摂州合邦辻』の舞台です。さらにここは大阪の歴史的ヒーロー真田幸村の戦死という物語の舞台。『難波戦記』の表舞台でしょうか。逢坂という魅惑的な地名にすでに物語性があり、史実よりも物語によってその場所に導かれているような印象すら受けます。
 

参考サイト


一心寺
 

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