日本三大奇橋 猿橋

1400年前、百済人が作ったという伝説の橋


 猿橋は、山梨県大月市猿橋町にあります。
 猿橋は、国指定名勝として、昭和7年3月25日指定されています。また、岩国の錦帯橋、木曽の桟橋とともに「日本三大奇橋」と呼ばれます。旧甲州街道は、この猿橋で桂川渓谷を渡っており、猿橋の西側に宿場町が栄えていました。
 猿橋は、桂川渓谷の谷底から高さが30mの空中にあり、橋脚が立てられないため、崖の両岸から張り出した四層のはね(刎)木によって橋を支えています。はね木の上に橋桁がのっている構造で、伝説によると610年頃築かれたと言われています。
 橋脚が無く、両岸からせり出させたはね木を支点にして、橋桁を渡すつくりになっているのが、猿橋の特長です。また、はね木の柱の上に屋根を付けて雨による腐食から保護しているところもみどころです。

 伝説によれば、奈良時代、百済の人である志羅呼(しらこ)という匠がこの地にやって来た。桂川の谷が深く、橋がつくれないので難儀していた地元の人や旅人の頼みを聞いて、志羅呼は橋を架けるためにこの地にとどまることとなった。しかし、名案もなく、困っていたところへ、渓谷を行き交う野猿が両岸から手をさしのべて、橋を造り、対岸に往来する谷渡りをしているのをみて、両岸からはね材木をせり出して橋をかけることを思いついたと言われています。しかし、実際の工事は困難を極めたため、志羅呼は夫婦で命を捧げ、人柱となって、橋を完成させたということです。

 現在の橋は、昭和59年完成。橋の長さ30.9m、橋の幅3.3m。橋から桂川渓谷の水面まで30m。

特記事項:猿橋町と古代朝鮮の「失われた環/鎖」について
猿橋がある猿橋町幡野地区には、「甲引山八幡神社」があり、およそ300年前から、12年に一度戌(いぬ)の年に「幡野の大祭」が開催されています。猿橋町ですが、いぬの年に開くのが面白い点です。
 大祭では、社宝として伝承されている「応神天皇が朝鮮出兵し新羅と戦ったときの勅書と軍旗」をご開帳します。地元の伝説では、朝鮮での兵役で破れた(朝鮮の)軍隊が、この地にとどまったことから「軍内」と呼ばれ、その後「周辺一帯を「郡内」と呼ぶようになったと言われています。
 NPO地域資料デジタル化研究会の調査では、同じ町内に古代朝鮮に縁のある2つの史跡があることは偶然ではないとみて、「猿橋町幡野の大祭」の記録サイトもたちあげましたので、学習を深めるために参照してください。
大月市猿橋町幡野の大祭写真レポート

※なお、NPO地域資料デジタル化研究会の「デジタルアーカイブ」には、昭和8年に発行された「郷土風景」矢崎好幸編著があり、その中の「第七 史蹟名勝風景」に昭和初期の「奇橋猿橋」の様子が版画で記録されている。
http://www.digi-ken.org/archives/kyodo/
 
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