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大月の伝統芸能

大月の伝統芸能を楽しむ集い

カテゴリ: 大月の伝統芸能を楽しむ集い 地域: 山梨県大月市
(登録日: 2006/03/22 更新日: 2007/09/16)


<大月の伝統芸能を楽しむ集い会場での配付資料より>

大月の伝統芸能を楽しむ集い
こども歌舞伎・笹子追分人形

平成十八年三月十八日(土)午後二時開演
場所:大月市民会館大ホール

御挨拶

早春の候、皆々様におかれましてはご清祥のこととお慶び申し上げます。
このたび、『大月の伝統芸能を楽しむ集い−こども歌舞伎・笹子追分人形』の上演の運びとなりました。市民会館大ホールでの公演は、こども歌舞伎はもとより笹子追分人形も若手の新メンバーが加わり、初舞台を踏みます。まだまだ未熟ではありますが、一生懸命努めたいと思います。どうか末永く温かく見守っていただけるようお願い申し上げます。
 大月の伝統芸能を楽しむ集いの開催にあたり、多大な御支援、御協力を賜りました皆々様、会員一同厚く御礼申し上げます。どうもありがとうございます。

平成十八年三月吉日
大月の伝統芸能を育む会代表 小高 高光
笹子追分人形保存会会長   天野 宇吉
大月こども歌舞伎会座長   大原 よし子

後援 山梨県教育委員会、大月市教育委員会、大月市
助成 NPO法人山梨メセナ協会

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番組次第

1.三番叟(こども歌舞伎)   増田 帆南(猿橋小五年)
        長唄      羽田昌子 上小沢弥代子 東山孝行 市川とよ子
                志村みやま 臼井なつ美 木崎詩乃 木崎綾
2.白波五人男 
  稲瀬川勢揃いの場
        日本駄衛門   岡野貴大(猿橋小五年)
        弁天小僧菊の助 鈴木龍之介(猿橋小二年)
        忠信利平    大石修平(猿橋小五年)
        赤星十三郎   飯田将矢(〃)
        南郷力丸    白川裕太(猿橋小六年)
        三味線     羽田昌子
        太鼓      木崎綾

3.三番叟(笹子追分人形)

4.朝顔日記−宿屋の段・大井川の段
        義太夫     竹本綾乃助
        三味線     竹本土佐子
        人形操作    笹子追分人形保存会

5.白波五人男
  稲瀬川勢揃いの場
        日本駄衛門   小宮山由依(猿橋中一年)
        弁天小僧菊の助 西室 瞳 (〃)
        忠信利平    須藤リカ (〃)
        赤星十三郎   飯田涼芳(猿橋小三年)
        南郷力丸    相馬佑紀(猿橋小五年)
        三味線     羽田昌子
        太鼓      木崎綾

解説      水木亮(劇作家、山梨文芸協会会長)

特別出演
竹本綾乃助(国重要無形文化財義太夫保存会会員・義太夫協会常務理事)
竹本土佐子(国重要無形文化財義太夫保存会会員・義太夫協会理事)
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大月の芸能の歴史 白猿座と大原長之助一座略伝


<大月の伝統芸能を楽しむ集い会場での配付資料より>

白猿座と大原長之助一座略伝

白猿座

明治初期 奈良半左衛門(現在の日之出屋本店あたりに住む)が東京新富町の『新富座』をモデルに間ロ十間奥行き二十間、桟敷の両側に花道、回り舞台のある本格的劇場を建築。
(奈良貞一郎氏談・・・府中市武蔵台在住。半左衛門は曽祖父にあたる)

大正十二年 関東大震災
昭和三年 株式証券を発行
*主な株主
・奈良重威 十代大原村村長(殿上)
 昭和三年十月十日 白猿座劇場取
 締役会長
・仁科義男(前猿橋幼稚園長)
・大石庸一(寿町)
・花田規矩郎(仲町)
・中西建治(三・八代町長)
・三木亀十郎(先代日之出屋)
・奈良寅吉(柏屋履物店)
・吉川実治(印刷所・書店)
・奈良熊吉(金沢商店)
・飯高林蔵(製材所)

昭和初期から近隣小学校音楽発表会や猿橋小学校学芸会の会場として使われるようになった。

昭和十五年五月十九日 中心街百世帯が焼失(猿橋大火)奇跡的に類焼を免れるも記録・写真等の史料を失う。

昭和十八年 大月座焼失。
 太平洋戦争後経営者が小俣興業から内藤興業へと移り映画の上映が主となる。

昭和二十年代 養蚕と絹織物が盛んで機織工場の経営者は女工さんたちのレクレーションとして、よく演芸会を催した。

昭和二十八年 笹子追分人形芝居公演

昭和四十七年十二月二五日 すでに廃屋と化していたところ失火により焼失。


大原長之助一座

大原長之助(長幡胆造)は明治十五年北都留郡大原村小沢に生まれる。

十代の終り頃演劇への志を抱き上京、音羽琴水一座に入門、琴水またの名は岩井染次 人気女優として活躍。
音羽琴水=岩井染次は本名いせ 明治十五年西山梨郡
甲運町(現在の石和町あたり)に生まれる。

長之助は師匠である染次と恋に落ち古里小沢に帰り
明治三十四年結婚、農業に就くも芝居への夢断ちが
たく大正二年二人の劇団大原長之助一座を立ち上げる。
各地を巡業、関東一円はもとより北海道や佐渡にも
行ったという記録が残っている。

長之助一座は大正末から昭和にかけて全盛となり大月座や白猿座を一年あるいは二年と長期間借り切り興業をし、合間に巡業 隆盛は太平洋戦争まで続く。

長之助・染次夫婦には子供が無<、長之助の実妹ゆきよ
の娘恵枝(ヨシエ)を養女とし 昭和三十年入籍する。

長幡恵枝 芸名大原よし子は昭和九年猿橋町小沢に生まれれ、三歳の頃から舞台に立つ。

長之助は昭和三十一年猿橋町の自宅で逝去。享年七十四歳。白猿座に於いて葬儀を執り行なう。

昭和四十三年、『明治百年女優祭』に於いて染次は、
杉村春子・田中絹代等と共に表彰される。

昭和四十四年、染次は猿橋の自宅で永眠、享年八八歳。
長之助と染次は、猿橋町小沢の長応寺の墓所に眠り大
きな自然石の碑が立っている。

長之助・染次は生前から各地に残る地芝居を指導して
いた。その中で『吉田歌舞伎』は没後大原よし子が引き継ぎ現在まで続いている。よし子は『藤野子供歌舞伎』や西原に残る歌舞伎も指導する傍ら、芝居で使っていた衣裳百数十点を大切に保管、貴重な研究史料として高い価値を持つこととなった。

*大原長之助一座については『山梨の民俗芸能』(水木亮著 勉誠出版)の中の「音羽琴水一座」を参考にし要約した。さらに大原よし子さん本人にも聞くことができ確かめながらまとめたものである。

*白猿座については府中市在住の奈良貞一郎さん他大勢のかたがたから聞き取りまとめたものである。

    (大月の伝統芸能を育む会代表 小高高光)

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かぶき
歌舞伎

歌舞伎という言葉は、もとは「かぶく」という言葉からきています。漢字で書くと「傾く」で、派手で異様な身なりをした人や常識はずれの男たちを「かぶき者」と呼んだそうです。歌舞伎は、今から四百年ほど昔、江戸時代が始まった年に京都の四条河原という所で出雲阿国という女の人が男の格好で踊りを踊って評判になったのがはじまりです。現代の歌舞伎は、男の人が女の格好をして芝居をしています。

じしばいのうそんかぶき
地芝居(農村歌舞伎)
テレビのなかった時代の娯楽は、人形浄瑠璃(人形芝居)や歌舞伎(芝居)を見ることでした。江戸時代の後半から、農民がお祭りの時に春は豊作を祈願して歌舞伎をやり、秋は収穫を終えて感謝の気持ちで歌舞伎をやるようになりました。

はくえんざ
白猿座
明治時代の初めの頃、猿橋に白猿座という芝居小屋ができ、とても栄えていました。

昭和四十七年十二月に,火事で焼けてしまって建物は、今はもうありませんが、歌舞伎に使った衣装や小道具など残っているものは、大原よし子さんが大切に保管していて、吉田歌舞伎や藤野歌舞伎の舞台で今も使用されています。

大月こども歌舞伎演者募集!
平成十六年七月、猿橋小学校の協力で大月市に
こども歌舞伎がうまれました。市制五十周年のイ
ベントで猿橋の橋の上や市民会館で「大月版白波
五人男」を演じ、大好評でした。
現在、小学生八人・中学生三人が猿橋公民館で
土曜日夜7時から練習しています。歌舞伎をやっ
てみたい小中学生のかたは、指導者の大原よし子
さんに申し込んで下さい。

電話・0554(22)4348大原 (長幡)



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