昭和62年4月1日、日本国有鉄道は分割民営化されました。この歴史的変革のなかで、東京西鉄道理局第13代甲府運輸長(昭和42年就任)を務めた和田博さんは、自らの体験をもとに、戦中から、戦後復興、経済発展期までの国鉄中央線の旅客列車の変遷を調査し、個人の記録としてまとめられました。 太平洋戦争末期の空襲による国鉄の被害は車両を中心に膨大なものでしたが、線路、停車場等の基礎施設の被害が比較的少かつたことによって敗戦の日にも列車は走り続け、秩序だった列車ダイヤを維持したのです。 昭和20年7月6日甲府市周辺の空襲では、市街地とともに甲府駅に隣接に国鉄甲府管理部庁舎と身延線金手駅舎を焼失しましたが、幸い甲府駅舎は難をまぬがれ、敗戦にうちひしがれた県民の大きな精神的支えとなり、さらに戦後復興の動脈としての役割を担って力強い発展を遂げました。甲府駅南口からは、甲府復興のシンボルとなった4車線の「平和通り」が建設され、中央線の復興とともに、山梨県の復興が進んだのでした。 和田さんは、鉄道員としての自らの職務を振り返り、民営化に至る中央線の旅客列車ダイヤの変遷を感慨を込めて記録されました。 山梨の国鉄中央線の旅客列車の営業サービスの歴史を詳細に記録した唯一の貴重な歴史資料であります。デジ研ではデジタル・アーカイブに採録し、公開いたします。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この地域資料の底本は国鉄分割民営化の直前、地元新聞社で編集記者を務めていた採録者が、和田さんより「後世のため中央線の大切な記録として残したものだから、世の人に伝えていただきたい」といただいた原本コピーをデジタル化した資料です。山梨県内の「国鉄中央本線」の主要な営業サービスの変遷が網羅されており、郷土史研究の貴重な資料であるため、和田さんに感謝しつつ、ここに公開いたします。引用される場合は、「国鉄中央線旅客列車ダイヤの変遷」和田博著(1987年記)と明記していただくようお願いいたします。
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