[ 地域(上田市)へ戻る | ←← | →→ ] [ カテゴリ(真田一族の史跡) | 地域(上田市) | 記録日(2015/07) | 登録日(2015/12) ]
オープンデータうえだby長野大学前川ゼミ

信綱寺(薬師堂〜信綱寺)【2015/07/31】

カテゴリ: 真田一族の史跡 地域: 上田市
(登録日: 2015/12/07 更新日: 2017/01/29)


→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2015/07/31 真田町

信綱寺(しんこうじ)


→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2015/07/31 真田町

大柏山 信綱禅寺
〔本尊 釈迦牟尼佛 曹洞宗〕

当寺の創建は室町期、横尾城の東の梅ノ木に横尾氏の菩提寺として好雪斉大柏寺と呼ばれ、
横尾氏滅亡(上田原の合戦)後、真田信綱公が寺を打越に移し、
大光智照禅師を迎え大柏山打越寺と名づけられた。
その後昌幸公が長兄信綱公の牌所として寺堂を改築され、大柏山信綱寺と改められた。

開山 大光智照禅師(高山順京大和尚)
開基 真田源太左エ門尉信綱公

一、宝物殿(血染陣羽織、昌幸・信之の古文書他)
一、金比羅堂(信綱公守護佛)
一、真田信綱夫妻・昌輝公・白川氏御墓所
一、行事 修正会、大般若、彼岸、第六天祭、信綱祭、写経、読経、禅、茶会他
 

真田信綱夫妻・昌輝の墓


→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2015/07/31 真田町

→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2015/07/31 真田町

上田市指定文化財(史跡)

真田信綱の墓
(中央:信綱公 左:信綱夫人 右:昌輝公)

真田信綱は天文6年(1537)、幸隆の長子として生まれ、父病没の後38歳で家督を継いだが、
翌天正3年(1575)、武田勝頼に従い織田信長と長篠で戦い、弟昌輝と共に戦死した。
信綱の首級は家臣白川勘解由(かげゆ)兄弟の手により
陣羽織に包まれ鎧と共に大柏山打越寺まで運ばれ、墓前の桜の下に葬られた。
その後打越寺は、信綱公菩提所として信綱寺と改称された。
享保2年(1717)、寺の移築に伴い、墓所が裏山の現在の場所に移され、
夫人と共に懇に弔われている。
近年、夫妻の墓のとなりに昌輝の新しい墓が建立された。

真田信綱
天正3年5月21日没 享年39歳 信綱寺殿大室道也大居士
真田昌輝
天正3年5月21日没 享年33歳 嶺梅院殿風山良薫大居士
 

墓前の桜


→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2015/07/31 真田町

墓前の桜

戦死した信綱公の首級、鎧胴をこの桜の木下に手厚く葬られた。
この桜を「墓前の桜」と称し、大きな古木は今でも美しい桜を咲かせている。
 

薬師堂の説明


→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2015/07/31 真田町

薬師堂

人のあらゆる病を治すといわれる薬師如来が祀られている。
本尊は、傍陽の矢坪から流れ着いた石仏で、正保2年(1645)に建立された。
 

鳴り岩の説明


→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2015/07/31 真田町

鳴り岩

岩のくぼみに頭を入れて、中の音を聞くとゴーッという音が聞こえてくる。
地元では、地獄でえんま様が大きな釜で湯を沸かす音だと伝わり、
地獄の釜石とも呼ばれている。

実際に聞いてみると確かにゴーッという音がした。
音が反響する空間になっており、地の底で何かが通っている感じがした。
 

馬頭観音の説明


→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2015/07/31 真田町

→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2015/07/31 真田町

馬頭観音(ばとうかんのん:別名 馬頭大士(ばとうだいし))

怒りの表情をしており、その多くは冠の正面と左右に馬頭をつけ八本の腕を持ち、
人々の苦しみや迷いを救う観音です。

世間では、馬の保護神として馬頭観音、馬頭大士と石に刻み道端に立てましたが、
これは美しい線彫の珍しい馬頭観音です。
昔はこの道が大柏木(おおかしわぎ)の山に入る唯一の道で、木を引出し桑や刈草を運び、
炭焼き薪取りなど人馬の行き来が盛んでした。
 

黒門の説明


→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2015/07/31 真田町

→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2015/07/31 真田町

黒門

信綱寺の総門で、文政六年にそれまでの門を他の寺に移築し、
そして新築されたもので、(当寺のお金で十八両かかっている)
門全体が黒っぽく見えるので一般には黒門と呼ばれている。
この辺の参道周辺は、桜並木の名所になっている。
 

黒門の扁額(へんがく)


→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]
記録日: 2015/07/31 真田町

この門の扁額は、元総持寺貫主の畔上楳仙師が書いたもの。
ちなみに扁額とは、門や鳥居などの高い位置に掲げられる額(がく)のこと。
書かれている文字はその建物や寺社名であることが多いが、
建物にかける創立者の思いなどを記すことがある。
 

マップ

撮ってきた写真

(66件)
01 信綱寺への参道 02 薬師堂 03 薬師堂からの景色 04 鳴り岩
05 石碑 06 黒門の説明 07 黒門A 08 黒門@
09 馬頭観音@ 10 馬頭観音A 11 馬頭観音の説明 12 参道
13 黒門B 14 扁額(へんがく) 15 黒門をくぐる@ 16 黒門をくぐるA
17 当寺第六天魔王 18 当寺第六天魔王の説明 19 黒門裏 20 禁葡酒
21 アジサイの小径@ 22 アジサイの小径A 23 古城緑地広場のお休み処の内部 24 お休み処の外見
25 六地蔵さまの説明 26 六地蔵さま 27 信綱寺の山門@ 28 山門A
29 山門B 30 山門C 31 山門D 32 山門E
33 山門F 34 参道 35 参道 36 燈篭
37 山門 38 山門左側 39 山門右側 40 本堂
41 鐘楼 42 庫裏 43 焼香台の脚 44 寺紋
45 本堂寄り 46 真田信綱公墓所への案内 47 この道を進みます 48 この坂をさらに登ります
49 真田信綱の墓の説明 50 信綱夫妻・昌輝の墓@ 51 信綱夫妻・昌輝の墓A 52 信綱夫妻・昌輝の墓B
53 信綱夫妻・昌輝の墓C 54 信綱夫妻・昌輝の墓D 55 それぞれの墓の位置の説明 56 墓前の桜
57 信綱寺の説明 58 生垣@ 59 生垣A 60 アジサイの小径B
61 アジサイの小径C 62 アジサイ 63 黒門中央 64 黒門左側
65 黒門右側 66 薬師堂の土台

[ 地域(上田市)へ戻る | ←← | →→ ] [ カテゴリ(真田一族の史跡) | 地域(上田市) | 記録日(2015/07) | 登録日(2015/12) ]
[ ホーム| ]
[ マップで見る | みんなで信州&上田ウォッチ | わたしたちの信州 ]