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信州松代シルクロードアーカイブ

松代蚕糸業関連遺跡 保食神(うけもちのかみ)

カテゴリ: 松代シルク遺跡 地域: 長野市(松代)
(登録日: 2017/02/05 更新日: 2018/02/27)


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記録日: 2016/10/10 松代町東条



保食神(うけもちのかみ)
天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。
月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。
月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。
それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。
それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。
保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。

Wikipediaより引用
 

松代町東条に伝わる保食神のこと

保食神について 

道祖神、庚申塔、そして養蚕神はうちの近くにもたくさんあるが、保食神はあまり見当たらない。
村の人達は「カイコガミサン」と呼び、外から来た人は「ホショクジン」とみな読むが、調べてみると「ウケモチノカミ」が正しい。
「ウケ」は「食物」、「モチ」は「保」の文字から「待ち」の意でもあるが、本来は「貴」(ムチ)の意味ではないかという。
保食神は日本書紀の次の「ウケモチ神話」に由来するそうだ。天照大神は天上にあって弟の月夜見尊(ツクヨミノミコト)に「葦原中国に保食神(ウケモチノカミ)がいると聞くので会ってくるよう」と命じた。月夜見尊が行ってみると、保食神は首を国に向けて飯(いい)を出し、海に向けて魚を吐き出し、山に向かって猟獣を口から出した。
これを月夜見尊にご馳走しようとしたところ、尊は「口から吐き出したものなぞ汚い」と怒って、保食神を剣で撃ち殺した。このことを天照大神に復命すると、大神はたいそう怒り二度と尊に会おうとしなかった。以後両親は昼と夜別々に出るようになったのである。
その後、天照大神は天熊人(アマノクマヒト)を派遣して保食神の様子を見させたところ、「その死体の頭に牛馬、額に粟、眉に蚕、目に稗(ひえ)、腹に稲、陰部に麦と大豆が生っていた。」てん熊人がこれらを大神に献上したところ、天照大神は大変喜んで、「是(こ)の物は、顕見しき(うつしき)蒼生(あおひとくさ)(人民)の食らいて活くべきものなり」と言って粟稗麦豆を陸田種子(はたけつもの)とし、稲を水田種子(たなつもの)としたという。
このように保食神は「殺されることによって作物を発生させた農耕神」なのである。
また江戸時代には養蚕も盛んでこれが地元の人に「カイコガミサン」と呼ばせたのかも知れない。
ともあれこの石神を造立したころの村人はそのいわれをよく承知し、自分達が生きていくための精神的な支えとして、朝な夕な頭を垂れたものであろう。
ろう。

出展:下般寺区の石神石佛雑記より

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