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真の地域情報化【1】目的不在の情報化、投資配分の悪い施策

カテゴリ: 記事「低予算で効果を上げる真の地域情報化」 地域: どこか
(登録日: 2004/10/12 更新日: 2017/07/18)

東北芸術工科大学・メディア環境研究室
前川道博

『社会教育』誌2004年6月号掲載(財団法人全日本社会教育連合会)の記事を同編集部のご好意により、こちらに転載させていただきました。

腑に落ちない予算の回り方、目的不在の情報化

 行政の財政状況はどこも厳しく、予算がどんどん削られていくという話を聞きます。しかしどうも腑に落ちません。生涯学習・社会教育事業に必要な肝心な予算項目が削られる一方で、依然として多額の予算が特定の事業には付いていきます。情報化推進は行政の最重点政策の柱の一つとなって来ました。情報化推進に当てられる事業費の総額は決して少なくはありません。しかし、それが生涯学習・社会教育事業に回ってきません。
 腑に落ちないもう一つの側面は「情報化」が依然としてIT基盤整備に主眼が置かれ、地に足をつけた現場の施策の問題として認識されていないことです。行政の情報化ではIT基盤整備、電子政府・電子自治体の実現などの計画が国の主導で自治体に降りてきます。社会教育の情報化事業はその末端の末端とも言えます。トップダウンの議論では、「何を情報化するのか」「情報化して何をするのか」が最後の最後まで先送りされます。「何を」という議論は結局、現場が考えざるを得ないということになります。情報化はIT基盤整備の課題にすり替わり、依然として「何をするのか」という肝心要の議論がなされていません。
 こうしたひずみは、「公民館の使われないパソコン」のような現象として端的に現れています。にもかかわらず、こうした状況が問題として一向に顕在化しません。何かおかしいと皆さんもお感じのことでしょう。

情報化の空中戦と地上戦

 トップダウンで進められる情報化を「空中戦」にたとえた人がいます。どこまで行っても政策理念や包括的なIT基盤整備の話ばかりで「地上戦」に至ることがない、というわけです。実はこの地上戦こそがまさに「地域情報化」に他なりません。何が求められているのか、何をすると効果が上がるのか、何をしたいのか、といったことに答を出し、成果を上げていくことが地域情報化の本来目指すべき方向です。
 末端の事業の一つ一つに情報化が浸透していって、本来の情報化の第一歩が始まります。包摂的で実体の少ない国・県のレベルから、少なくとも市町村レベルに地域情報化が降りた段階で、情報化はリアルな地域社会と初めて対峙します。地上戦の現場とも言える公民館の使われないパソコンは空中戦で投下された不発弾と見なせなくもありません。トップダウンの情報化施策により、お金を投じて購入されたものです。
 情報化にはシステムも欠かせません。地上戦になって、現場が直面する大きな問題は導入されるシステムのよしあしです。ここにもまた大きな溝が横たわっています。システムを発注する側の自治体の担当は何を必要とするのかがうまく対象化できません。それで仕様を性能的なもので表現したり、類似システムの仕様の書き写しになったりします。その開発を受託する業者側も、仕様だけを実装できればよし、とする面もあります。結果としてあまり使えないシステム、使いにくいシステムが稼働することになります。システムは稼働しても使われないシステムになるケースがよくあります。使われないシステムに数百万円、数千万円もの予算が投じられるわけです。独自システムの構築はリスクが高いと言えます。皆さんの周囲にもこうしたシステムがありませんか。
 何が問題かは明らかです。「目的不在」です。パソコンもインターネットも既に社会全体に広く普及し、上意下達の情報化を待つまでもなく、社会全体は既に情報化が推進可能な状態に変わっています。それならそこで得られた経験や知見が「豊かな社会の創造」に活かされてよさそうなものですが、恐ろしいほどにそれが立ち現れてきません。自分たちの地域社会をどのように豊かなものに変えていきたいのか。そのために何をするとよいのか。こういったビジョンが得られない状況が深刻です。
 なぜそうなのか。一つには、ITがまだ借り物文化であることが言えるでしょう。何かのために道具として使いこなすところにまだ殆どの人が至っていないという段階です。パソコンがあるから使っている。もう一つは、受け身的な文化の弊害です。情報は自ら発信する前に受け取るものであるとの暗黙の合意が既に出来上がっています。パソコンがあっても、インターネットにつながっていても、自分が情報発信の主役であるという意識に転じることがありません。

コンテンツ制作代行は予算を浪費する

 予算がないないと言いながら、コンテンツ制作にはなけなしの予算が出ています。コンテンツの充実に力を入れているところでは、かなり潤沢な予算が投じられるケースもあります。
 アウトソーシング(=制作代行)すれば、当然のことながら予算措置が必要です。これが実は大問題です。
 コンテンツは情報生産のアウトプットです。長く公開し続けるためには更新も必要ですが、新たなコンテンツを追加する必要も生じます。そのために予算措置を講じなければなりません。永遠にこの問題を引きずります。
 問題はコストがかかることだけではありません。担当者の情報発信能力を培いません。同じ「米百俵」でも、それを食べ尽くすか、未来の地域再生のために人材育成に投資する知恵を持つかが地域の運命の分かれ目です。
 コンテンツはまさに学習の結果としてもたらされるものです。この意味で制作は本来的に代行できない性格のものです。制作代行が慣習化してきたに過ぎないと認識していただく方が間違いはないでしょう。

セキュリティの確保という大きな障壁

 社会教育事業の情報化推進を図る上で重くのしかかるのは行政故のセキュリティ重視の方針です。セキュリティはどうしても技術的な解決課題となることから、殆どの行政では担当者が理解できず、業者任せとなりがちです。セキュリティが犯されればそれは社会的信用に直結することから、行政の立場としてはどうしても慎重にならざるを得ません。得てして業者の言うなりとなります。
 費用を抑えるためにセキュリティを緩めてよいということでは必ずしもありません。ここでの弊害は一にセキュリティ、二にセキュリティとなり、ここでも「何をするのか」がないがしろにされる形でしわ寄せが来ます。セキュリティが万全で情報発信を欠いたシステム、という笑うに笑えない状況となりかねません。

情報発信の道具立てもまた問題

 情報の生産性の低さはコストに直結します。Webページの制作などにどのソフトを使うかの選択はかなり大きく運命を分けます。道具=生産手段ですから、道具の善し悪しで勝負が決まります。不幸なことに市販のホームページエディタはページレイアウトの編集に主眼をおいたものが殆どです。ソフトを使いこなすには相応の習熟を要しますが、一つ一つのページをレイアウトまで含めて逐一編集するとなると制作にはかなりの労力を要します。本来、伝えるべき情報を伝えることが大切なわけですが、知らず知らずレイアウトや見栄えなどに時間を費やすことになります。扱うべき素材、例えば画像が千点、二千点あっても、それらを全て扱おうという発想も湧きません。まともにそのような仕事をしようとすると途方もなく時間を使います。

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