[ 登録日(2004/11)へ戻る | ←← | →→ ] [ カテゴリ(三山電車) | 年代(昭和40年〜) | 登録日(2004/11) ]
西川町の歩み写真集

三山線廃止

カテゴリ: 三山電車 年代: 昭和40年〜
(登録日: 2004/11/22 更新日: 2005/03/08)

昭和49年11月

→画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ]



大正13年(1924年)に設立した三山電気鉄道株式会社(海味、資本金70万円)による三山線は、翌大正14年(1925年)に着工され、昭和元年(1926年)に羽前高松〜海味間8.8q(所要時間28分)が開通し、昭和3年(1928年)に海味〜間沢間2.6kmが延長され、全線11.4kmが開通した。昭和18年(1943年)に同社が、高畠、尾花沢両鉄道、山形交通自動車商会、今村自動車等を吸収合併し、山形交通株式会社を設立したことにより、以後、その経営下に置かれるが、西川町の社会、経済活動には欠かせない「町民の足」として広く利用されてきた。昭和30年(1955年)の利用状況を見ると、
[間沢、西海味、海味の3駅の業績]
・乗車人員 422,000 ・降車人員 427,000
・発送荷物 9,000余個 ・到着荷物 16,000余個
となっている。
 しかしながら、モータリゼーションの発達により、その利用が年々減少し、昭和49年(1974年)にはついに廃止に追い込まれ、約半世紀の活躍に幕を閉じることになる。昭和50年(1975年)、世帯数2,381戸に対して町内の登録自動車総台数2,541台となっており、単純に比較しても町内におけるその発達ぶりが裏付けられている。
 三山線の跡地は、間沢〜山寺を結ぶ37.8kmの大規模自転車道「さくらんぼサイクリングロード」として利用されることになり、昭和51年(1976年)に路線認定を受け、同年工事が着工されている。約20億円をかけて昭和60年(1985年)に完成した。
 なお、この道路は、一般県道間沢寒河江山形線として県が管理しているが、間沢〜海味間については、昭和51年(1976年)に都市計画道路として指定を受けている。 
 
[ 登録日(2004/11)へ戻る | ←← | →→ ] [ カテゴリ(三山電車) | 年代(昭和40年〜) | 登録日(2004/11) ]
[ ホーム| ]