間沢川田植踊


太平洋戦争前までは「中谷田植踊」といい、間沢川の中谷地区だけで旧正月十六日に踊ったものである。明治の初めにはあったというが、いつ伝えられたものかは不明である。昭和初期、満州事変の頃から廃れ昭和二十六年正月、「間沢川田植踊」として復活した。十五人のメンバーと八つの踊りがあった。現在は世帯数も少なく、当然後継者もなく中断している。
踊りの概要は、家々を巡る道中おばこ節をうたって門口に立つ。早乙女が先に座敷へ上がり、次にエンブリが口上、「エート来たりや御亭主様 年々の御嘉例とあって アキの方から御田植が参った。千秋万歳先ず以ってお目でとうござる」と述べながら座敷に入る。一同揃い当家の主人に一礼して踊りが始まる。踊りは、「御正月」「隠居舞」「草刈節」「夕暮方」「米摺節」「米吹節」「米搗節」「上りはか」と続く。やはり、田植えから始まり、草刈り、稲刈り、籾摺り、選別、米搗きそして刈り上げまでを唄い踊っていく。口上や唄のなかに二ッ掛と共通する部分がみられ、両者の間に関わりがあったと思われる。
最後にエンブリの口上となる。「只今これの旦那様には七福神と飛び来たり 迦陵頻の御声にて御ほめの言葉下しおかれます段、我々身にとって有難度き幸せに存じ奉る なんども皆々様方ご存じの通り只今、田植真最中のことなれば 早速御礼申し上げかねまする 田植すぎ早苗振りの節とも相なりすれば 銘酒一声に烏川はうど竹の子などを取りととのへ 十六・七の姐さんを御酌に立てゆるゆるすっぽりとの御礼 まずはそのため口上左様頼み申すと…… もんどり申すぞ 帰り申すぞ 来年まいるぞ 田の神」と述べ踊りは終わる。

 
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