岩根沢神楽
神楽は神前で神祭りに演じられる芸能である。一般に巫女神楽、採物神楽、能神楽、湯立神楽、獅子神楽に分類される。民間で演じられるものは里神楽や太神楽といった。 岩根沢神楽は明治初年に福島県より伝えられたものという。三山神社岩本昭氏によれば、江戸時代日月寺時代にあった能舞が廃れ、それに代わって神楽が伝えられたのではないかという。能舞の時代のものであろうか、神社には古い面が今も残る。社殿には、明治二十五年、福島県安達郡上川崎村が納めた額「太々神楽御神楽面」が見られる。神楽奉納は三山神社に伝わる「大々之口傳記」に記されるが、その中「大々御神楽面附簿」には三拾六座、「小御神楽」十二座がみえる。今日継承しているのは、「燈明舞」・「鎮悪神楽(舞)」・「國堅舞」・「榊舞」・「猿田彦神」・「大延舞」・「倭姫舞」・「宇賀神」の八座である。「岩根沢社務所文書」(『神都岩根沢の面影』<丸山茂著 昭和十五年>所収)には、岩根沢神楽は、大々御神楽、太々御神楽、と記されている。神楽は五月三日と九月一三日の神社の祭礼に、神前に於て奉納される。楽人は笛二人、鼓一人、小太鼓と大太鼓一人の計四人、それに舞人二人である。「岩根沢社務所文書」の「御神楽勤行式」には湯立神事が記されることから、岩根沢神楽は、伊勢神宮外宮の御師によって広められた伊勢流と呼ばれる湯立神楽の流れをもつものと考えられる。
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志津神楽
志津にあった志津神楽は秋、村里を回った。村中の大きな家に分宿して各家を回り悪魔払いをやったという。こちらは獅子神楽の流れのようである。大井沢中村の長玄坊は元会津地方に興行したといい、獅子頭が残っていたという。
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