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西川町の文化財

第2号 史跡 大日寺跡

カテゴリ: 町指定文化財 地域: 西川町
(登録日: 2004/10/25 更新日: 2011/03/02)



指定年月日  昭和54年1月20日
所 有 者  大井沢 湯殿山神社
所 在 地  西川町大字大井沢2884の2  

 大日寺は、天長年中(824〜834)弘法大師の開基とされる。応永年中(1394〜1428)僧道智によって再建され、参詣道筋の整備等も大いに行われた。天文七年(1538)に再興したが、延宝二年(1674)大火災で一切焼失。翌三年、慈恩寺住職亮海が大日寺の住職を兼ね、大日寺再興に努力し、利海、亮快の三代に隆盛をきわめ、のち利珊より十二代亮瞬、亮皓、亮衛まで繁盛が続いた。
 明治元年(1866)神仏分離令により神山となり、湯殿山神社と改称され、同三十六年、また火災で焼失、二大門を残すのみとなり、現在に至っている。
 本道寺・大日坊・注連寺とともに湯殿山別当真言四ヶ寺の一つとして栄えた。
 


大日寺のあらまし

 大日寺の開基は、旧記(妙学坊文書)に「大祖弘法大師天長年中(824〜833)湯殿山を開かれ、また、大日寺も創建したまう」とあり、本道寺、大日坊、注連寺と共に同じ時期の開基と考えられる。
 中興の祖、道智上人、上人は応永2.3年頃(1394)大日寺を再建すると共に、関東、福島、置賜方面の湯殿山参詣者の便を図るため、道路の整備(道智道)に力を入れて大日寺繁栄の基をつくった。よって中興の祖と申し上げている。
 大日寺は湯殿山別当四ヶ寺の1つとして、江戸時代中期以降に最も繁栄し、貞享年中(1684)勅命により、国家鎮護玉体安穏の祈願寺として免許される等、また、江戸の誕生院よりは二百八十匁の大鐘が奉納される等して、日本七大霊場の1つに数えられるまでに至った。大井沢の里は、白衣の行者によって埋め尽くされ「湯殿まで笠の波打つ大井沢」と歌にまで詠まれたのは、この時代である。御朱印は四石五斗、境内三丁四方このうち、本堂、山門、惣天門、金蔵院、妙智院、蓮華院、福蔵、地蔵堂、山王堂、五智堂、大師堂、鐘楼、庫裏、台所、門前家来六軒七坊があり、外に宿坊は二十六坊、明治初期までの繁栄が推察される。明治元年(1868)神仏分離令の公布と共に諸仏は縁ある寺院に流され、明治7年(1875)遂に寺号を返上し、翌明治8年(1876)摂社湯殿山神社と改称された。
 明治36年(1904)12月火災により山門鐘楼を残し一切焼失したのは誠に残念である。

(宮司敬白)・・・山門前の説明より・・・



(10件)
01 石段から山門 02 境内地跡 03 道智塚 04 芭蕉翁碑
05 湯殿山永々月代参所願成就 06 境内地内 07 境内地内 08 第2号 史跡 大日寺跡
09 第2号 史跡 大日寺跡 10 境内地内

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