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オープンデータうえだby長野大学前川ゼミ

真田家の家紋

地域: どこか
(登録日: 2015/11/23 更新日: 2017/01/29)


真田家の家紋には、
「六文銭紋」、「結び雁金紋」、「洲浜紋」がある。
最も世に知られている真田家の家紋として、六文銭紋がある。
数いる戦国武将の中でもこれほど知られている家紋は他にはない。
それぞれの紋には、意味があり日常生活に使われていた。
どういう風に実際使われていたのか次に説明したいと思います。
 

六文銭(六連銭)の説明


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記録日: 2015/11/13 長野市

「六文銭」は、「連銭紋」の一種である。
そのため、「六連銭」とも言う。

六文は三途の川の渡し賃を指すことを知っている人は、多いでしょう。
なぜ六文が三途の川の渡し賃と呼ばれるに至ったのか。
それは、死者が亡くなった後に通るとされる
六つの道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上)
をそれぞれ通るのに必要なお金だったからです。

ではなぜ、真田家がこの家紋を使ったのかというと、様々な説が存在する。

@「六文銭」は、元々海野氏の家紋でもあったため、
真田家はその正統性を示すために使ったのではないか。

A真田幸隆(昌幸の父)が、死を連想させる「六文銭」を旗印として用いることで、
山内上杉家を見切り、身命を賭して武田家に仕える覚悟を示した。

これらの説から、真田家は「六文銭」を戦時に用いられることが多かったと考えられる。
 

洲浜紋(すはまもん)の説明


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記録日: 2015/11/13 長野市

「洲浜紋」の洲浜とは、川の河口部にできた島状の洲、いわゆる三角洲のことである。

飾りや調度品として使われる州浜台の意味があり、平安時代から慶賀の式などに使用された。
江戸時代には、婚礼の飾り物として用いられた縁起の良い紋とされる。

それゆえに、真田家は祝い事のときに「洲浜紋」を用いたと考えられる。
 

結び雁金紋(むすびかりがねもん)の説明


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記録日: 2015/11/13 長野市

「結び雁金紋」に用いられている雁(がん)という鳥は、昔から「幸せを運ぶ鳥」として有名であった。
雁の両羽を円形にねじった紋を結び雁金紋といって、雁紋の典型的な形である。

真田家は替紋として使用し、平時(生活用品など)にこの紋を用いた。
 
(3件)
01 六文銭紋・六連銭紋 02 洲浜紋 03 結び雁金紋

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