| 長野県史跡戸石城跡
 昭和44年5月15日指定
 この城は東太郎山の一支脈が、神川に沿って南方に突出
 している高い尾根に構築され、本城を中心に北に枡形城・南に
 砥石城・西南に米山城を配した堅固な連郭式山城で、総称して
 砥石城と呼ぶ。
 <本城>
 砥石城全域で最も広大で、最上段の本郭から南へ二の郭・
 三の郭と続き、その東下または東南方に四の郭・三日月形郭
 ・帯部等郭群の遺構をよくとどめている。本城の東南は小さ
 な谷間で、これを登る両側には小段郭が麓まで、幾重にも続
 いており、登城口(大手)と見られている。
 <枡形城>
 北方最高所標高800mにあって、自然の山頂を利用している。
 郭の西方入口に4uの枡形があるのでこの名がついた。郭
 は長方形で、手前に半月形の段郭が二つある。
 <砥石城>
 本城の南に連絡しており、北下りの鞍郭に幅9mの深い堀切が
 ある。本郭は方20mの削平方形郭で、周囲の展望は実によい。
 砥石城は村上・真田氏が戦略上重要視し、また重要な役割を果
 した城である。規模が大きく、四要害を二体として構築し、しかも
 居館としても用いられた極めて特色ある貴重な史跡である。
 昭和61年3月31日
 長野県教育委員会
 上田市教育委員会
 
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