真田幸村休憩所跡由緒
かっての戦国の武将真田幸村(1567〜1615)
大坂夏の陣のおり、南河内誉田方面において
東軍伊達正宗軍と一戦を交えた後古市街道
を経て大坂城へ帰城途中この地にて休憩し
志紀長吉神社へ戦勝を祈願すると共に
軍刀一振りと六紋銭の軍旗を奉納した後
1615年6月(元和元年)大坂落城の前日
天王寺茶臼山にて東軍松平忠直軍と奮戦の末
壮烈な戦死を遂げた、時に幸村48才の
終焉であった、乱世の世に生まれ天下の智将
としてその名を馳せ武士道の精神を体現した
幸村その意味では戦国時代最後の武将で
あったとも言える、ここに幸村を偲び謹んで
由緒の一端を記すものである。
戦国の幸村を偲ぶ
霧の朝
平成15年6月吉日
長原歴史保存委員会
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