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長大前川ゼミ:地域の記憶

長野オリンピック記憶 招致運動の歩み

地域: 長野市
(登録日: 2017/12/22 更新日: 2019/05/21)

招致報告書


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記録日: 2017/12/15 長野市

招致運動の歩み 1度目


 長野県への冬季オリンピック招致の夢は、戦前からのものだった。1940年の夏季オリンピックの開催都市に東京が有力視され、当時のオリンピック憲章に「夏季大会開催国に冬季大会の選択権を与える」という憲章があり、国内で冬季大会候補地争いが盛んになった。
 長野県からは、志賀高原、菅平、霧ヶ峰、乗鞍などが名乗りを上げれ、他にも、札幌、日光が名乗りを上げ、互いに猛運動が展開された。中でも、国際観光都市に選定された志賀高原は、本命・札幌の強敵になった。しかし、「都市開催の条件」に満たずに失格し、札幌に決定した。
 だが、当時の日本は日中戦争で国内は混乱し、日本は東京・札幌ともに、開催地を返上することになった。
 これが、1度目のチャレンジとなった。
 

招致運動の歩み 2度目


 2度目のチャレンジは、1961年第10回オリンピック冬季大会に日本は立候補を決め、再度、国内での立候補地選定が行われた。
 数カ所が名乗りを上げた長野県は、県内の一本化に失敗し、山ノ内町-軽井沢町、白馬村、安曇村の3カ所を候補地として申請した。
 結局、国内候補地は札幌になり、1972年には第11回冬季大会が札幌で開催された。
 2度目のチャレンジも失敗に終わった。
 

招致運動の歩み 3度目


 1998年大会開催地に立候補。
「3度目の正直」を合言葉に市町村、関係団体等、県が一体となり招致活動に取り組んできた。
 長野市、山ノ内町および白馬村が開催都市並びに競技会場地として県内で決まり、1998年冬季オリンピック開催地として立候補した。
 
 
 

決議書 長野市公文書館保管資料

(3件)
01 長野オリンピック記憶 招致運動の歩み 02 長野オリンピック記憶 招致運動の歩み 03 長野オリンピック記憶 招致運動の歩み

参考資料 長野市公文書館保管資料

(8件)
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