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長大前川ゼミ:地域の記憶

上田歴代藩主の政治の中心・上田藩主居館跡

カテゴリ: 真田昌幸の生きた道 地域: 上田
(登録日: 2016/10/20 更新日: 2019/05/21)

上田藩主居館跡


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記録日: 2016/07/18 上田市

上田藩主居館跡の説明@

(4件)
01 上田藩主居館跡 02 上田藩主居館跡 03 上田藩主居館跡 04 上田藩主居館跡


上田市指定文化財
「上田藩主居館表門及び土塀・濠・土塁」

上田藩主の居館は、真田氏・仙石氏・松平氏の各時代を通して、
現在の長野県上田高等学校の敷地となっている場所にあり、
「御屋形(おやかた)」と呼ばれていました。
居館の遺構である表門・土塀・濠などの往時の姿をとどめています。
表門は、藩主松平忠済(ただまさ)時代の寛政2年(1790)に
その前年焼失した居館と共に再建されたものです。
前面には、四本の太い角柱が並び、中央間には大板扉を釣り、
左右には潜りの扉がつけられ、後部の控柱は十六面に削った通し梁でつないでいます。
創建当時の様式がよく保たれており、長野県下最大規模の薬医門として貴重な存在です。
土塀は江戸時代末期の構築ですが、濠と土塁は真田氏の時代の面影を残し、
全体として江戸時代の大名屋敷の外廻りを知る良い例です。
但し、土塀の下部と堀の周囲の石積みは、崩落防止のために
最近施工されたものであり、堀の幅も道路の拡張により狭められています。
(作成 上田市教育委員会)
 

上田藩主居館跡の説明A

(3件)
01 上田藩主居館跡 02 上田藩主居館跡 03 上田藩主居館跡


真田信之公以降、仙石氏、松平氏が廃藩まで藩主屋敷として利用しました。
今は一部しか残っていない堀ですが、江戸時代に描かれた絵図を見ると、
当時は屋敷の四方を堀が囲んでいたことが分かります。
そのことを裏付けるかのように、上田高校新合宿所建設の際の発掘調査で、
堀の痕跡が確認され、江戸時代の瓦や陶磁器などが出土しました。
この碑の下には、堀の跡がそのまま保存されています。
(作成 上田高校57期卒業生一同)
 

上田藩主居館跡の説明B

(6件)
01 上田藩主居館跡 02 上田藩主居館跡 03 上田藩主居館跡 04 上田藩主居館跡
05 上田藩主居館跡 06 上田藩主居館跡


上田藩主居館跡

堀を含めた敷地の広さは、東西が74間3尺(135.5m)、南北が74間2尺であった。
屋形の基本的な構成は、当初から大きな変化はなかったものと見られるが、
松平氏時代の様子のあらましは次のようだった。
屋形は入り口側から、御表・勝手・御奥の三つの殿舎群に分けられていた。
御表は、藩主の公的な生活の場で、大書院・大広間などがあった。
勝手は、藩主の居間で小書院・表居間など、また御奥には藩主の寝室・
側室の部屋などがあった。
(上田藩主居館跡の説明版より)
 

撮影した写真

(27件)
01 上田藩主居館跡 02 上田藩主居館跡 03 上田藩主居館跡 04 上田藩主居館跡
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