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シェロー演出『トリスタンとイゾルデ』を観る

カテゴリ: さまざまな音楽を聴く 地域: どこか
(登録日: 2014/01/04 更新日: 2024/04/02)


NHK BSで年末に放送されたミラノ・スカラ座公演『トリスタンとイゾルデ』を観ました。パトリス・シェロー演出、ダニエル・バレンボイム指揮による2007年12月の公演の記録です。

シェローのオペラ演出は1976-1980年のバイロイト音楽祭の『ニーベルングの指環』によって代表されます。初演当時、ブーイングを受けたこの上演は、30年以上が経過し、その後もこれを上回る上演が出てこないことによって、シェロー演出の秀逸ぶりを世界に示すこととなりました。残念なことにシェローは昨年2013年に亡くなりました。偉大な業績はたとえその数は僅かであっても、後世に残り、語り継がれていくものです。

シェロー演出による『トリスタン』を観て久々に深い感銘を受けました。ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』に内包されているドラマ性を視覚的にも外在化し、内面的な恋愛と葛藤のドラマとしても造形したシェローの演出の見事さに感服しました。これだけ上演の質を高め、一つの上演に結実するには、演じる歌手たちの実力、舞台や照明などの美術監督やスタッフの実力などが全て揃っていなければなりません。おそらくこれからもこれを上回る『トリスタン』の上演はないのではないだろうか、と思うぐらいに素晴らしいものでした。

特筆すべきは何といってもシェローの演出です。バイロイト音楽祭やメトロポリタンオペラなど昨今は多くのオペラ公演をテレビでも観ることができるようになりました。言い換えると世界で最上級の質の上演が茶の間でも観ることができるようになったわけです。それだけに並大抵の質では満足できなくなるぐらいに観る側の質的な要求レベルも高くなったと言えます。

ワーグナーの上演で目立つ近年の風潮は、時代設定が現代化されてきたこと、映像効果をやたら駆使する演出が増えてきたことです。シェローの『トリスタン』も時代設定は20世紀と思われます。港湾の労働者が作業服姿で登場し、ジーパンをはいています。しかし、舞台の設定はシンプルでリアルでありながら象徴性があり、重厚な印象を与えるセットです。

第1幕の本来の場面設定は船上ですが、シェロー演出では貨物船の荷卸しをする港のデッキに見えます。舞台の背景は石造風の壁面で覆われ、中央部に港の倉庫と思われるような空間がくり抜かれています。第2幕は中央部に舞台の左右を大きく区切る壁がモノリスのように立ちはだかって縦方向の感覚、空間全体の重厚感を強調しています。第3幕は石段のある無機的な石造風の空間。全幕を通して全体を遮る大きな壁面、縦の空間性が強調された舞台セットが、このドラマの内面性を引き出す装置として生きています。壁面はリアルな質感でありながら、第1幕に端的に示されたようにシンボル的な壁として扱われていることがわかります。

こうした舞台のシンプルさ、シンボル性は、シェローを一躍世界的に有名にした1976-1980年バイロイト音楽祭の『ニーベルングの指環』の舞台セットを彷彿とさせるものです。近年の潮流に反して、20世紀の時代設定でありながら、重厚でドラマの造形により適した舞台セットを導入していて、久々に「ホンモノ」の舞台を感じ取ることができました。

演出でシェローらしさを実感するのは群衆的な役割の人々の介在です。第1幕においては荷揚げ人夫多数が数回に渡って舞台に現れます。第2幕、第3幕にもエキストラが舞台に現れてきます。これらの人物はオペラの台本にはなく、本来、不要な要素です。彼らはコロス(合唱隊)ではないので歌こそ歌いませんが、この悲劇的なドラマのコロスに近い役割で登場させています。『ニーベルングの指環』では最後の『神々の黄昏』でコロスが登場します。第1幕の人夫たちを見た時に、シェロー演出の『神々の黄昏』におけるコロスを想起しました。舞台とドラマを引き締めています。

『トリスタン』は暗闇の中で進行していくドラマです。より内面的で、感情が持続していくところに特色があります。シェローの舞台ではこの時間の推移が実に美しい。特に第2幕はたとえようもないぐらいに美しい。暗闇がトリスタンとイゾルデを包み込み、時間をかけて次第に朝の明るさに溶解していきます。私がこれまでに観たオペラの舞台の中で最も美しい場面の一つに挙げられます。時の過ぎるのが惜しまれるぐらいにその暗闇の緩やかな推移の美しさに陶酔しました。

そして、さらにこの舞台を迫真のあるものに高めているのが主役級の歌手たちです。イゾルデ役のワルトラウト・マイヤーはバイロイト音楽祭ではお馴染みのワーグナー歌手の一人です。どちらかというと『神々の黄昏』のノルンのような脇役で登場する機会が多かった方です。マイヤーのイゾルデは魂が乗り移ったかのような迫真力のある演技に凄味を感じました。文句なしに素晴らしい。トリスタン役のイアン・ストーリーもいい。マルケ王役のマッティ・ザルミネンもバイロイトではお馴染みの歌手の一人です。ザルミネンの顔は個性的で印象に強く残っています。バイロイト音楽祭のシェロー演出による『ラインの黄金』で巨人族を演じていた人です。強烈なほどに個性的です。マルケ王の役もはまっていました。クルヴェナール役のゲルト・グロホウスキもいい。この上演のキャスティングは驚くほどに適役で粒ぞろいです。

ところで、ワーグナーの上演は常にバイロイト音楽祭のそれを基準に比較されます。スカラ座の2007年公演の時期、バイロイトで上演されていた『トリスタン』は2005〜2009年のクリストフ・マルターラー演出と重なり合うものです。マルターラーのバイロイト版『トリスタン』は数年前にもNHKで放送されました。これとの比較は、シェロー演出の『トリスタン』の特性を明らかにするのにも役立ちます。

▼バイロイト音楽祭2009『トリスタンとイゾルデ』
http://www.hmv.co.jp/news/article/1002190116/

マルターラーの『トリスタン』は20世紀に場面設定されており、主人公たちは20世紀の背広などを来て出てきます。第1幕は椅子席が並ぶ豪華客船の甲板と思われる情景。第2幕はだだっ広い部屋の空間。中央に椅子が2つ並んでおり、そこに女性スーツを着たイゾルデとブランゲーネが座っており、場面の進行と共に、同じ椅子にはトリスタンとイゾルデが座ることになります。はっきり言って感動も何もありません。恋愛の感情の推移もひどく表面的に感じられて見ていて興ざめしました。さらに第3幕はガランとしたやはりだだっ広い空間。イゾルデがひどく地味な服を着てきて、感動も何もあったものではありませんでした。

それに比べるとシェロー演出がいかに真っ当で、ドラマのインパクトを引き出していたかが一目瞭然でした。バイロイトよりもミラノ・スカラ座の方がホンモノです。このことはシェローの力量による面ばかりでなく、スカラ座のスタッフの実力に支えられている面が実に大きい。スカラ座のスタッフの職人魂がここまでの優れた舞台をもたらした力ではないかと実感させてくれるものでした。

NHKではこれまでにもニューヨークのメトロポリタン・オペラの上演を何度も放送してきました。それらも確かによかったですが、印象としてはスタッフが頑張ってやっているという印象をより強く受けるものでした。スカラ座は、その辺の水準が違います。これが本家本物のオペラだと言わんばかりのものでした。明らかに質が違う。ワーグナーをやってもスカラ座はあなどれません。世界最高峰であるとの誇りに支えられてこの上演ありという印象を受けました。

いくらでも語りつくせないぐらいに中身の濃いオペラ上演でした。
 
おらほねっと/ミッチーのブログから転載
シェロー演出『トリスタンとイゾルデ』を観る
2014年01月04日(土)
https://sns.orahonet.jp/blog/blog.php?key=13987

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