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ウィーン・フィル/ニューイヤ―コンサート2017を聴く

カテゴリ: さまざまな音楽を聴く 地域: どこか
(登録日: 2017/01/08 更新日: 2024/04/02)


★ウィーン・フィル/ニューイヤ―コンサート2017
http://www4.nhk.or.jp/P2992/

毎年元日恒例のニューイヤ―コンサート、今年は録画しておいたものを後から聴きました。今回の指揮台にはドゥダメルが登壇するというのでかなり楽しみにしていました。

ドゥダメルが指揮する演奏を最初に聴いたのは数年前にNHKで放送されたベネズエラのユースオーケストラ。バーンスタインの『ウェストサイド物語』のシンフォニックダンスなどが演目でした。指揮者、オーケストラ含めて驚くほどにリズム感があり、特にラテン系のリズムのものは信じられないほどに乗りまくっていました。「マンボ」は唖然とするぐらいに凄い。みんなしてマンボしている。「何なの?この指揮者」というぐらいの強烈なインパクトを受けました。

一口にクラシックとかヨーロッパ音楽とか言いますが、一人一人の音楽家はそれぞれの民族的・文化的背景を背負っていて、それぞれに異なる民族・文化が指揮に現れます。特にこのことを強く感じるのは舞曲的な曲を指揮するとき。テンポの緩急や間合いなどのリズムはその人の天性に加えて、体に染みついたリズム感がほとばしります。それに加えて、その人が身に付けた音楽的教養や感性、趣味といったものがその演奏を面白いほどに個性あるものにします。ドゥダメルを聴いてそのことを真っ先に思いました。

ドゥダメルは、ニューイヤ―コンサートを実に楽しんでいました。ドゥダメルだけでなく、ウィーン・フィルの団員たちが楽しんでいました。いつもの聴き慣れたウィーン・フィルとは違うよさが引き出されていました。これだけでも聴き甲斐がありました。

選曲も面白い。ラテン的な独特のリズム感に近い曲が意図的に選ばれていて、ウィンナワルツがマンボのリズムかと思うぐらいの面白さがあります。

ドゥダメルの指揮は視覚的にも面白い。指揮棒の振り方が小粋でいい。こういう小さな所作は身についたもので、眺めていて心地よい。カルロス・クライバーが登壇した際に小粋に指揮棒をもてあそんでいました。ウィーン・フィルのニューイヤ―コンサートでこういう小粋な指揮を披露する指揮者はクライバー以来です。実に楽しかった。

番組の解説によるとドゥダメルはウィーン・フィルとは既に50回近くも指揮をしているとのこと。若い指揮者なのに、ただごとではありません。ウィーン・フィルが喜んでドゥダメルに指揮をさせたがっているということがよくわかります。

ルーマニア出身のチェリビダッケは、舞曲的な独特のリズム感覚を持っていました。チェリビダッケの指揮で聴いたブラームスの『ハンガリー舞曲第1番』は、信じられないぐらいに深奥な文化的気品を引き出していました。またあのリズム感は他の誰にも再現はできないというぐらいに体のゆさぶりから現れて来るもので、力量のあるオーケストラがその飽くなき音楽的要求に応えて実現された、極めて高水準の演奏でした。その演奏に触れているときの時を永遠に止めてしまいたいぐらいに愛おしく美しいものでした。ドゥダメルのウィンナワルツを聴いて、それに匹敵するぐらいの独自性、愛おしさを感じました。

ドゥダメルがユニークなのはベネズエラの出身であること。ベネズエラでエル・システムによる音楽教育を受けて育った指揮者であるという点は注目すべきです。音楽家は適切な教育の支援によって育まれていくことをまさにドゥダメルが体現しています。この状況は戦後まだ貧しかった時代に、斎藤秀雄らが始めた「子どものための音楽教室」、後の桐朋学園の音楽教育を想起させるものです。そのような音楽教育システムがあることにより、小澤征爾が世界で活躍することにつながりました。才能を育む機会を得ることが世界的に評価されるステージに立つチャンスにつながる。国の教育の賜物とみることもできます。

ドゥダメルからますます目が離せなくなってきました。
 
おらほねっと/ミッチーのブログから転載
ウィーン・フィル/ニューイヤ―コンサート2017を聴く 2017年01月08日(日)
https://sns.orahonet.jp/blog/blog.php?key=16130

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