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みんなの山梨アルバム「たそがれ時の入町」

分類: 生活 撮影地: 鰍沢町入 撮影者: 中山梅三 撮影日: 昭和30〜40年代
(登録日: 2005/11/05 更新日: 2008/03/10)


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山梨県南巨摩郡鰍沢町入

(写真番号 nu-a0077-0008b)

入町(いりちょう) :現住所は山梨県南巨摩郡鰍沢町1800番台

 江戸時代、徳川家康の命を受けた京都の角倉了以によって富士川が開削され、鰍沢から駿河の岩淵(静岡県富士川町)までの舟運が開通しました。信州往還と駿州往還の交わる地点に位置していた鰍沢は、この開削により富士川舟運の要衝地、鰍沢河岸として流通の拠点として大きく発展していきました。
 当時の主な積み荷は「下げ米、上げ塩」と呼ばれました。下り荷は甲州や信州から幕府への「年貢米」、上り荷は「塩」などの海産物が中心。塩は鰍沢で陸揚げされ、桔梗俵に詰め替えられ「鰍沢塩」として甲州一円はもとより、信州まで運ばれました。
(以上鰍沢町ホームページより:
  http://www.town.kajikazawa.yamanashi.jp/fujikawa.html)

 入町部落は船着き場の近くなので、大正時代から太平洋戦争前までは南川(みなかわ)の水を堰き止めて天然氷を作っていました。木ぬかをつけて溶けないように工夫して保存した氷はこの富士川舟運にも利用されていました。
 昭和3年、富士川身延鉄道が富士ー甲府間で全線開通したことにより、富士川舟運は終焉を迎えました。
 
(37件)
01 共同水道 02 移動販売車 03 移動販売車 04 うどん生蕎麦屋
05 豆腐屋 06 家の外壁に並ぶのは 07 脚絆に地下足袋 08 木の車輪
09 水撒き 10 立派な塀 11 瓦屋根の家 12 商店
13 道端会議 14 働く母 15 薪の用意 16 立ち話
17 働く母 18 洗濯 19 洗濯 20 薪の用意
21 手伝い 22 大人用自転車 23 家の前で料理 24 往来
25 街頭紙芝居 26 街頭紙芝居 27 街頭紙芝居 28 大人も街頭紙芝居
29 山羊 30 子どもたち 31 子ども 32 子どもたち
33 野球のバットは 34 卓球 35 待合室 36 乗り合いバス
37 山のふもとの部落

中山梅三氏の作品について御存知の方、御意見のある方は御連絡下さい。

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NPO法人地域資料デジタル化研究会「みんなの山梨アルバム」アーカイブ担当