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『結婚哲学』と小津安二郎

前川道博


 エルンスト・ルビッチの『結婚哲学』(24年)は、チャップリンの『巴里の女性』(23年)と並ぶアメリカ映画の風俗喜劇の元祖である。風俗喜劇独自の題材とルビッチの洗練された表現は、日本の映画作家、特に小津安二郎に多くの影響を与えた。ルビッチの小津への影響については既に論じられた部分も多いので、ここではなぜルビッチ特有の型重視の表現を小津だけが継承し、推し進めていったのかについてみていくことにする。

 山本喜久男による『結婚哲学』の特徴の指摘から、特に小津と共通する型を拾うとこうなる。(1)室内場面が多い。(2)固定撮影が多く、構図・人物配置型の均衡が保たれている。(3)正面のクロースアップと見た目のショットが多用されている。まずこれを指標に両者を比較してみたい。

 室内場面が多いのは、風俗喜劇とホーム・ドラマというジャンルが共に、閉じられた枠内での親密な人間関係を扱っているためである。

 画面内での均衡のとれた人物配置は、画面内から人物が画面外へ出るような際に、不均衡が生じたことを意識させる。共にこの効果を利用するが、ルビッチが人物を画面内へ戻して不均衡を安定した構図に修正していくのに対し、小津はもっと頻繁に人物の出し入れを行い、不均衡、人物の欠落感覚を必ずしも解消させてはいない。

 次に人物の正面撮影の多用である。ドナルド・リチーによると、正面撮影は映画史初期だけに見られた初歩的な手法で、ルビッチだけがアイロニー等を表現する型として洗練させたという。この点でもルビッチと小津は特殊であり、小津が正面撮影を最後までやめなかっただけでなく、いっそうそれを体系的に多用する方向へ向かうことには、ルビッチとの親近性と小津独自の転回を見ることができる。

 この問題は、見た目のショットの扱い方との関係から説明できる。山本は、『結婚哲学』で見た目のショットが55回繰り返され、「人物たちの主観のずれ」の効果をもたらしていると指摘した。ここでの要点は、「ずれ」であって、「見た目」ではない。このことは会話場面で人物が視線を交わらせる時、通常の映画のように、視線の交差を代行する形でカメラ位置が設定されるのでなく、表情の並置といった形で正面ショットを並べ立てていくような撮り方と軌を一にする。小津の場合にはこれがいっそう意識的で、ショットの接合には絶えず視線の不一致が持ち込まれている。『結婚哲学』で多用される見た目のショットも、視線の交差する場で使用されることは少ない。個人が見た対象物が示されるだけの全くの主観ショットなのである。結局、見た目のもたらすものはどこまでも主観のずれであり続けることになる。

 このような正面撮影と主観ショット(主にルビッチ)が描くのは個の世界である。それは通常の映画のように、交差する視線という擬似的な主体に個を解消してしまうアクション中心の表現とは区別されなければならない。型の重視にもかかわらず、登場人物たちが自由に振舞っているように見え、存在感があるのは、もとより個が中心に置かれているためであろう。

 ところで、『結婚哲学』の原題は、「マリッジ・サークル」である。サークルは、親密な者どうしを意味する関係概念である。これに対応する東洋の概念としては会(え)が考えられる。共に個と個が集合し合っている状態、お互いの自律性が尊重されあう関係を示している。これが個と個の関係であれば、当然そこにはモラルが存在することになる。このことが型重視の表現の意味と表裏一体になる。

 ルビッチ作品のモラルをアンドリュー・サリスはこう述べた。――「人は誰も人生のゲームにいつかは負けるが、それでもなお、ルールに従って人生のゲームをつづけるべきだと認めること」(山本論文からの引用)。ここから演繹するなら、均衡のとれた構図が不均衡を生じつつも安定がもたらされる型の展開が、ゲームの規則の如くに作用していたことが了解されよう。

 一方の小津作品は会者定離の世界である。小津が描く物語には別れのエピソードや死別した人物たちが無数に配置されている。小津作品の人物たちは、お互いのこの上ない関係を保ち続けたいと思いながら、結局は皆別れていく。並び合う形によって表現される離れ難さ、にもかかわらずしばしばそこに持ち込まれる不均衡と欠落感覚、そして最終的にもたらされる個の欠落。その整然とした循環は、定離の必然性を強く予感させるように働いている。

 小津作品の物語は、初期からすべてが親密な人間どうしの関係を扱っており、小津がルビッチの型をその共感の表現に取り入れたことは容易に推察できる。その関係が次第に家族の関係に移行するに及んで、型が重要な意味を持ち始めてくる。会者定離という文化的に類似した受け皿があったからこそ、ルビッチの型は小津作品に受け継がれ、組み換えられたのである。


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