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「小津安二郎・映画の時空間」について


古きをたずねて新しきを知る

 小津安二郎(1903〜1963年)の映画は、表現が極めてシステマティックであること、特に時空間の諸要素の組織化が図られている点に特色があります。1970年代以降、小津作品は、記号学の流行を背景に、記号学的解読のテクストとしてさまざまなアプローチが試みられるようになり、同時にその映画的価値があらためて問い直されるようになってきました。

 既に、佐藤忠男、ドナルド・リチー、ノエル・バーチ、蓮實重彦、デヴィッド・ボードウェルらの優れた小津研究があります。ここでは、システマティックに展開される映画の時空間の様相を、上記の先行研究とは別な視点から分析してみます。動画(moving image)としての映画の構造を捉えることにより、今日のCGアニメーションの表現などと通じる、またはその創作上の参考となる、古くて新しい側面を捉えてみます。

小津は新たな動画像研究の切り札に?

 印象批評的・作家論的な映画評論のコンテクスト(佐藤、リチーら)、記号学的読解のコンテクスト(バーチ、蓮實、ボードウェルら)、社会学的・文化論的解釈のコンテクスト(ポール・シュレイダー、ジョーン・メレンら)が、小津映画に関する論述の全てである、と言っても言い過ぎではないでしょう。言い換えれば、歴史的に、映画というメディアの視点で、小津映画について研究がされてきたと言うことができます。

 映画は、人類にとって学ぶべきものの多い文化的遺産として今日に継承されてきましたが、言うまでもなく、これからはメディアのデジタル化、知能化という方向性の中で動画像の表現は進化していきます。一体、映画の先人たちは現在を生きる我々に何を遺産として残したのだろうか。これが、ここで探求したいことの全てです。人類は、明らかに、映画という偉大な遺産をもてあましています。

 人工知能は人間の知能をコンピュータによってシミュレート(代替)することを目標としていますが、動画像創作のシミュレートをすることは、人工知能の一つのテーマとなります。しかし、知能と同時に、動画像という極めて対象化のしにくい対象を扱うことから、人工知能の課題以上に解決が困難な課題と言えるでしょう。この課題に答えていくためには、従来の映画だけのコンテクストから離れて、認知科学的視点から捉え、探求されることが必要ではないだろうかと考えています。

 このホームページでは、小津映画というものを対象に扱いますが、目標とするところは、動画像創作をシミュレートするためのモデルを獲得することです。<シナリオ>を入力、<動画像(映画作品)>を出力とするメディアが導出できれば、それは人類にとって大きな発見・発明となり、メディアの進化に大いに貢献することは間違いありません。<シナリオ>と<動画像>の関係は、極めて複雑なものですが、解き明かせないものではありません。生前、小津は、映画を作るよりも、シナリオを書くのに苦労したということを度々語っていました。小津というメディア(人)が、シナリオ以後の創作をある程度、機械的な作業として処理していたことを考えると、その答はそれほど難しくないようにも思えます。ともかく、ここでは、この問題の解決に一石を投じてみることにしましょう。


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Michihiro Maekawa
File last updated: Jan. 20, 1997.